長沢理永『土陽隠見記談』より

猫顔で一本足の鳥

 寛延三年冬のことだ。

 土佐国種崎の船手方役人松岡伝兵衛の三男で、三介という十二歳の少年は、毎日高知の町へ出て、叔父の加藤伝七に弓を学んだ。
 高知への往来には船を使った。ふだんは便船が多いので困ることはなかったが、ある日、帰りの船がないことがあって、しかたなく吸江の渡しまで行って渡し舟に乗り、その先は陸地を歩いた。
 孕山の端の桜田越という所を越えて行くうち、山中で道に迷い、なんと山の頂上に出てしまった。そこは魔所と言われ、ふつうに人が行くところではない。
 山上には沼があった。浅瀬を踏み渡って、対岸の岩に上がるとき、鶴ほどの大きさの鳥が飛んで来た。顔は猫のようで、脚が一本しかない。羽毛は猪の毛のようで、全体に黒っぽい鳥だ。
 そいつが二三羽近づいて、喰いつこうとするので、持っていた弓で打ち払うと、飛び失せた。しかし一息つく暇もなく、同じ鳥が今度は五六十羽も飛来して、さかんに喰いついた。
 また弓で打ち払い、懸命に防ごうとしたが、なにしろ鳥の数が多くて手に余る。刀を抜いて斬りつけても、ぼそぼそと音がするばかりで、鳥は平気だ。弓で打ち払うほうが恐れる様子だったから、近くの松に弓を当てて弦を引き、射てやろうと思った。
 ところが、弦を引きかけたときに、大きさが牛ほどの鳥が肩に喰いついた。痛さのあまり振り向いて弓で叩くと、大鳥は飛び失せ、三介はそのまましばらく気を失った。

 夢から醒めたように、ふと目を開ければ、鳥の姿はもはやなかった。西の方に海が見えた。
 『さっき怪しい鳥が来たのは、あの辺りからだった』と思って、沼のほとりを眺めまわすと、数十人が往来したかのように、そこらの木の枝が折れ乱れ、木の葉がおびただしく落ちていた。
 とにかく山を下ろうという気になって、道を探すうちに、赤土の砂利に足を取られて、二百メートルほども滑り落ちた。落ちた先には、幅二メートル、高さ五六メートルの垣があった。なんのためにそんな垣があるのか、まるで分からない。
 そこから雑木の原をやっとこさ下って、地獄谷というところから海辺にたどり着いた。海ばたを伝って帰っていくと、途中で知人に会った。
 その人は、
「ずいぶん顔色が悪い。何かあったのか」
と不審がり、
「いや、何事もありません」
と応えても、心配だからと家まで送り届けてくれた。
 家で衣類を脱いでみたら、鳥の喰いついた痕が赤く腫れて、全身が斑になっていた。

 その後は何事もなく済んだので、三介は家の者に一部始終を語った。
 吸江の渡しで舟に乗ったのは正午ごろだったのに、家に帰り着いたのは夕暮れだったそうだ。
あやしい古典文学 No.1194