古賀侗庵『今斉諧』巻之五「狐(補遺)」より

足を撃つ

 長州のある侍が、妻を亡くして深く悲しんでいる折、夕刻に持仏堂の前で拝んでいると、香火の上に妻の幽霊が現れた。その顔もふるまいも、生前の妻そのままだった。
 妻は泣きながら訴えた。
「あの世とこの世は異なるとはいえ、飲食することは同じです。わたしは死んでこのかた、飲まず食わずで、もはや飢えに耐えられません。あなたが生前に夢を共にしたよしみを忘れていないなら、少しばかりの憐れみを垂れて、わたしを救ってくれませんか」
 侍は自分の配慮が足りなかったことを嘆き、その後は毎夕、妻が好きだった食べ物を供えた。
 供え物をすると、妻の幽霊が出てきてガツガツ食らった。食べきれない分はすべて持ち去った。それが毎日続くと、さすがに妖怪の仕業にちがいないと思われた。

 侍は銃を隠し持って幽霊を待ちうけ、出てくるやいなやその額を撃った。撃たれて、幽霊は消え去った。
 翌夕、出てきた幽霊はひどく怒っていた。
「あなた、わたしのことをもう好きじゃないの? ひどいわ」
 侍は幽霊の姿を、落ち着いてじっと見た。その額には、弾丸の当たった跡が一つ、たしかにあった。そこで、またその額を狙って撃った。撃たれて、幽霊は消え去った。
 その次の日の夕刻、相変わらず幽霊は出てきた。額には弾の跡が二つ、はっきりと認められた。侍は動揺したが、ふと思いついて、今度は幽霊の足を狙って撃った。
 たちまち持仏堂の中は騒然となった。香炉がひっくり返り、燈火は消え、何ものかが飛び出していった。
 庭で死んでいるものがあった。見ると、毛むくじゃらの老狐の死骸だった。
あやしい古典文学 No.1195