阿部正信『駿国雑志』巻之二十四下「神隠」より

駿府城神隠し

 いつのことだったか、駿府在番の岩手伊左衛門という人の家来に、浪足金六郎という者がいた。実直な人柄で、勤めをよく果たしたので、主人の伊左衛門もずいぶん目をかけていた。
 この金六郎が、風邪をひいたとかで二日ばかり床に臥していたが、二日目の夜にはひどく苦しむようになった。
 同僚たちは心配して、手を尽くして介抱した。その甲斐あってか、悩乱がだんだんに鎮まったので、皆ひとまず安心して病人の傍らに寝転び、夕刻からの看病の疲れで、前後も知らず寝入った。
 その深夜、突然、金六郎がむっくり起き上がり、枕元に置いた自分の刀を抜き持って、裏口から出て行った。
 ひと寝入りした付き添いの者らが、目を覚まして辺りを見れば、金六郎の刀の鞘だけ残って、金六郎は居ない。驚いて家じゅうを起こし、提灯・松明をかざして探しに出た。
 頃は陰暦八月の下旬で、庭に繁った一群のススキの中に、金六郎が立っていた。
「ここに居たぞぉ」
 見つけた者が声をあげたので、みな喜んで駆けつけたが、金六郎はススキの中から走り出て人々に斬りつけ、二三人の数箇所に傷を負わせた。
 それで恐れて近づく者はなく、ただ遠巻きにして見ていると、不思議にも、金六郎は鳥のごとく舞い上がり、さらに虚空をさして飛翔した。
 居並ぶ人々が胆をつぶし、「あれよ、あれよ」と騒ぐ間に、城壁よりも高くのぼり、そのまま竜爪山へと飛んでいった。
 これはまさしく天狗の業であった。

 その後、菅沼図書の家来の芦原源蔵も神隠しにあって姿を消したが、わけあって、主人は事の次第を説明できなかった。そのため、ついに菅沼家は断絶した。
 さらに後には、定番 金田遠江守の中間の源蔵という者も神隠しにあって行方知れず。続いて、城代 杉浦出雲守の中間の金六という者も神隠しにあった。
「金六・源蔵と名乗る者ばかり四人も神隠しにあったというのも、不思議なことです」
と、府中呉服町の魚屋太兵衛が語った話である。
あやしい古典文学 No.1199