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新井白石『白石先生紳書』巻八より |
首堂 |
谷長右衛門が語った。 和泉国丹波谷の松尾寺は、俗に首堂(こうべどう)と呼ばれる。言い伝えによれば、一の谷で敗死した平家の将兵の首を埋めた堂だそうだ。 かつて、大和の法隆寺の大工なども見に来たことがある。その当時、昔に建ったままの建物で貴重だったからである。 三間四方の造りだが、普通よりは縁が高い。昔は板葺だったのを、後に銅瓦にしたようだ。外縁も後に拵えたものらしい。 縁の下はことごとく髑髏である。 石の上に高く置かれた骨を、「大将首だ」などという。誰かが悪ふざけでしたことと思われるが、しかし、最初からそうだったのかもしれない。 粉々に砕けた骨に混じって、よく原形をとどめた髑髏がある。中には、たいそう大きく、骨の厚い髑髏もある。とにかく珍しいものだ、と。 |
あやしい古典文学 No.1201 |
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