鈴木桃野『反古のうらがき』巻之三「火事場のぬす人」より

火事場泥棒

 浅草川の東あたりに住む人がいた。
 その人の家は、建ってから百年近くの間、近隣で火事があっても焼けたことがなかったが、ある年、冬の初めから末まで雨が降らず、防火用水として頼りにしていた庭の池も水が枯れて、やや深いところだけ少し水たまりがあるくらいになった。

 そんなときに近所から火が出た。火は風にあおられ、家伝いに燃えて来る。今度ばかりは延焼を逃れようがないと見えた。
 しかし家の主はあくまで立ち去らず、どこかに火がつくたびに水をかけてなんとかしのいでいたが、その水がそもそも十分でないところへ、風もいよいよ吹きつのったので、ついに持ちこたえられず、表の座敷は燃え立った。
 せめて母屋を守ろうと、池に入っては水を取り、駆け上がっては家にそそぐことを繰り返すうち、隣家はすべて炎上し、裏手の家も火に包まれた。もはや火を避けて逃れ出るすべはなく、わが家を助けないでは命も救われないが、火の勢いはいよいよ激しく、屋根が焼け、屋根の下から吹き出す火は目も鼻も覆い尽くすほどになった。
 『もうだめだ』と思い、池の水の少し残ったところに入り、濡れ筵をかぶって火の静まるのを待った。『我ながら、なんとも危ないことをしているなあ。あたりに一人として火消しの者も来ない場所に、立ち去りもせず堪えたのは、あまりに頑迷というもの。今の母屋の燃えるさまは、どんな火消しだって立ち向かいようがないものを…』などと思いながら、少し離れた池の中から見ていると、激しく捩れながら燃え上がる炎の中を、人が二人やってきた。
 彼らの様子は、どういう衣服か知れないが水に浸したとみえて、全身から湯気が立ち上ること物を蒸すかのようだった。足に何を履いているのか、火の上を平地のごとくゆるゆると歩いて、あちこちを漁っている。
 二人は盗人であった。『しかし、こんな危険をものともせずやって来て、心静かに物を奪うとは、並大抵の者ではないな。こんな豪胆者でなければ、火事場泥棒などやれるものではない』と見ているうち、その家ではたいして奪うものがなかったのか、隣家に移って、火にうずもれた屋内へ押し入った。そのように火の内を行くのに、通常の家に入ったかのように平気で、目を見張り息をするにも苦しむ様子はない。時々拾い上げる物はすべて鉄器・陶器の類であったが、手に持ち背に負うときに熱いとも思わないらしかった。
 しばらくして家が焼け落ちたので、主も池から出て、かの盗人が歩き回った辺りへ行き、そこの火気のほどを確かめたところ、さっきまで水につかっていた身であっても、なかなかに寄り付くことができない熱さだった。

 昔の中国に、こんな話がある。
「召使の少年が、あやまって玉の杯を割ってしまい、罰を恐れて身を隠した。何処へ行ったのか、ひとつの部屋の中で姿が消えた。二日ばかり過ぎて、ふと床下を覗くと、紅の紐が下がっている。そこで床板をひっくり返して見ると、少年が手足を突っぱって張り付いていた。『まる二日の間ものも食わず、力尽きずにいたとは、恐ろしいやつ。いずれとんでもない大泥棒になるかもしれない。玉杯を割ったのは些細な罪だが、生かしておけない』と思い、殺してしまった」と。
 家の主は、『たしかに、人にまさる力のある者が、心がねじ曲っていれば大盗人となり、他人にできない悪行をしでかすのであろう』と、このとき思い当ったそうだ。
あやしい古典文学 No.1208