大田南畝『半日閑話』巻十五「本所密夫一件」より

本所密夫一件

 文化十四年六月のことだ。
 幕府新御番渡辺喜右衛門組に、吉沢五郎右衛門という番士がいた。
 この五郎右衛門の養父である隠居は、ふだんから放蕩の性質で、内々に本所あたりの町屋を借りて遊び暮らした。やがて同じ町の座頭と何かのきっかけで心安くなり、互いに行き来するようになった。

 さて、座頭には妻があって、三味線を好んで弾き、富本何某という三味線弾きとあちこちで顔を合わすうち、ついに密通するにいたった。
 それが露見してややこしい話になったが、間に立つ人があって、富本から座頭に少々の金子を渡すことで示談となった。
 ところが座頭の住まいの大家が、「密通をはたらくような者を町内に置いては、またどんなことをしでかすか知れない」と難癖をつけた。そして座頭夫婦に、「何日までに長屋を立ち退け」と言い渡した。
 座頭は困り果て、立ち退きの日延べを頼めないものかと、かの吉沢の隠居に相談した。
 隠居は「大家に掛け合ってやろう」と言って出かけていったが、どういうやりとりがあったのか、大家は大いに立腹し、悪口雑言に及んだ。あまりのことに隠居が堪えかね、抜刀して大家を切り捨てたので、えらい騒ぎになった。
 ことは表沙汰になりかけたけれども、結局、内々で話がついたという。

 あとで詮索するに、じつは隠居も大家も、座頭の妻と密通していたそうだ。
 また最近の説では、大家は厄介者で町内みな迷惑していたため、切り捨てそのものは誰も文句なかった。しかし、旗本の隠居が町屋に住んでいることが知れてはまずいので、座頭が間に立って内済にしたという。
 とにかく、大家はずいぶん性悪な人物だったらしい。
あやしい古典文学 No.1209