大田南畝『半日閑話』巻十五「能勢半左衛門一件」より

能勢半左衛門一件

 諏訪隼人支配の小普請組に、能勢半左衛門という者がいた。
 半左衛門の屋敷には、妻と妾と二人の子供、さらに半左衛門の弟、弟を産んだ亡父の妾なども住んでいた。

 亡父の妾は悪人で、半左衛門を追い出して、わが子に家督を継がせようとたくらんだ。
 どうするのかというと、本家である能勢帯刀の家来と示し合わせたうえで、自分の息のかかった家来から本家に「主人は先年来、いたって行状悪しく…」と申し立てさせ、半左衛門を本家押込にして、跡継ぎに次男を立てようというものだった。
 たくらみが順調に運んで、いよいよ本家から迎えの駕籠が来る手筈であったところが、なぜか事前に半左衛門の耳に入った。
 半左衛門は激怒し、妻を物見矢倉に遣わして遠ざけた後、まず弟を斬り殺し、亡父の妾にも手傷を負わせたが、こちらは縁の下へ逃げ込んで命が助かった。
 その後、物見へ行って妻にいきさつを話した。大いに驚いた妻が、「一緒に死にます」と騒ぐのを押しとどめて後事を託し、半左衛門自身はそのまま物見で腹を切った。半左衛門の妾も後を追って死んだとのことだ。
 妻は、隣の久保田孫太郎方を訪うて事の次第を話した。久保田はやむを得ず、人を出して色々と処理に当たることになった。その間に妻は実家に手紙を書いて知らせ、それによってだんだんと親戚衆も集まってきた。
 半左衛門の二人の子供は門前へ逃れて、通りかかった飴屋に助けられ、隣家に送り届けられた。半左衛門の家来たちは、騒ぎに紛れて出奔した。
 親類衆の相談では、御使番の能勢助右衛門と能勢助之進の両人が表沙汰にすることを主張し、能勢帯刀は内密にしようとして、言い争いになったらしい。その後、どういう話になったのかは知らない。

 ひとつ可笑しかったことは、隣の久保田孫太郎は大変貧乏していて、その日その日をやっとしのぐばかりの暮らし向きだったのに、この騒動で能勢の親類の家来二十人分の炊き出しをするはめになった。
 久保田は、もはや明日のしのぎも出来かねて、大小も金に換えて失ったうえ、あちこちの家来筋に融通を頼むなどして、はなはだ外聞を失った。隣家のとばっちりで日ごろの極貧が露見し、笑止千万の有様だと、このごろの話の種になっている。
あやしい古典文学 No.1210