松浦静山『甲子夜話』巻之四十四より

ある老力士が語った

     (一)

 世に知られた相撲の関取で「緋威(ひおどし)」という者は、安芸の国の生まれである。近頃は年老いて、我が藩抱えの力士「錦」の家に寓居している。
 筆者はときどき緋縅を呼んで、珍しい話をさせるのだが、その中の一つに、彼の故郷の村から三里ばかりのところに住む老狸の話があった。

 狸はいつも人と交わって会話し、容貌もそこらの村人と変わらない。緋縅もしばしば対面したという。
 狸は碁が得意で、対手が苦戦して長考すると、
「凡夫は悲しいなあ。目が見えないのだから」などと嘲弄する。そういう態度も、総じて人と同じだ。
 しかし、狸を困らせようと、人々が戸を閉ざし、障子を塞いで閉じ込めても、わずかな隙間から脱け出てしまう。こんなときの狸はまるで幻影のようで、いかにしても形をとどめさせることはできないそうだ。
 また、たわむれに陰嚢を広げて、人にかぶせることがある。驚いて脱け出そうとすると、いよいよ包み込んで、身動き取れずにもがくさまを笑う。そんな悪ふざけの様子も、人と変わらない。
 ある人が狸に、
「弟子はあるのかね」と尋ねたところ、
「あるにはあるが、この村にはおらぬ。隣村のちんば狐だけが、我が弟子だ。しかし、あいつはまだ、人語を操ることができない」などと語ったという。

 どうも疑わしく、信じがたい話なのだが、たまたま錦も同席して、
「かつて緋縅と一緒に安芸へ行ったことがありまして、その正体は狸だという人を見知っております」と言うから、まんざら虚妄として片付けることもできない。
 この狸はよく昔のことを語ったそうで、おおむね茂林寺の貉(むじな)僧の話の類である。ということは、この安芸の狸も長寿の者なのか。
 なお、隣村のちんば狐は、里人が時々見かけることがあるらしい。

     (二)

 これも緋縅の話したことである。

 緋縅は先年、京都から江戸へ戻る途中、伊勢の桑名に泊まった。
 同道の力士はみな女郎買いに行って、一人で部屋に残っていたとき、風呂場の水槽に注ぐ樋(とい)の下から鼠が出てきた。猫ほどもある大鼠だった。
 緋縅は鼠を捕らえようとしたが、空の水槽に逃げ込んで見えなくなった。そこで、水槽の排水口に漁網を張り、樋から湯を流し込むと、鼠は驚いて飛び出して、網にかかった。
 捕らえた鼠に、煙草と唐辛子を混ぜた粉を吹きかけたところ、口から泡を吹いて苦し気だったが、なかなか弱らない。何度か繰り返し吹きかけて、ようやく息絶えたかに見えた。しかし、たちまちまた復活した。
 『ここまで虐めたあげくに放したのでは、きっと夜中に報復に来るだろう。殺すしかない』。そう思って、すらりと脇差を抜いたとき、宿の亭主が駆けつけて、
「なにとぞ、この鼠をお助けください」と平伏した。
「この大鼠、今殺さないと、害をなすにちがいない。おまえは何ゆえに止めるのか」
「ご不審はもっともです。それには子細があるのです」
 子細というのは、こうだった。
「私は、子供の時にここへ養子に来ました。この家は何度養子をとっても、すぐに実家へ帰ってしまい、居着く者がなかったのですが、そんな事情は知りませんでした。そうして最初の夜、寝床に入って、何か物音がするので目を覚まして見たら、太さが円鉢ほどもある黒蛇が、身を半ば立てて迫り来るところでした。隣に寝ている養母は、夜着を引きかぶって身動きもしません。どうしようと途方に暮れているとき、大鼠が二匹出てきて、私の寝床の周りを一晩中巡り歩いたのです。蛇はとうとう近づくことができないまま夜が明けました。そんなわけで、この鼠は当家の守護であります。助命を、是非とも、是非ともお願い申します」
 緋縅はこれを聞いて、気味悪いながらも、『力士たるもの、弱みを見せるわけにはいかない。しかし放してやって、仕返しに荷物など齧られては外聞が悪い』と思って、こう言った。
「明朝、この宿を出立するとき、放してやるとしよう」
 その夜は、気丈そうな顔をしながら、内心こわごわ枕元に置き、翌朝になって、亭主に鼠を渡して宿を発ったそうだ。

 このあと桑名の町は大火で焼けた。緋縅がまた同地を通った際、同じ宿に立ち寄り、
「あの大鼠はどうした」と聞くと、
「大火の後は、どこへ行ったのか、見なくなりました」とのことだった。
 宿の名は酒屋久大夫といって、今もある。このときの亭主の久大夫も、去年までは達者にしていたそうだ。
あやしい古典文学 No.1212