鶴峯戌申『海西漫録』初篇二「蟹殺蛇蟒」より

蕗の葉の蟹

 飛騨国の深山で、木こりたちが泊まり小屋を造り、そこに寝泊りして働いていた。
 あるとき、炊事係の者が、食後の器を谷川で洗っていると、川上から幾つともなく蕗の葉が流れてきた。『この上には住む人もないのに、不思議なことだ』と思って、蕗の葉を一枚拾い上げて見ると、葉の裏に二三匹の小蟹が取り付いていた。別の葉を拾ってみても、やはり二三匹の小蟹が付いていた。
 それが怪しく思えて、『このまま流れて何処に止まるだろうか』と、岸を伝っていったところ、はるか川下に大木が横たわっていた。そこで数多の蕗の葉がひとたび水に翻って、また川下へと流れた。
 これもまた不思議だったので、回り道してさらに川下へ出て、そこで流れ来る蕗の葉を拾って見ると、蟹は一匹も付いていなかった。『すると蟹は、あの大木が横たわったところに留まったのか。なぜだ…』。

 いっぽう小屋の木こりたちは、炊事係の帰りが遅いのを心配して探しに出た。二三人が川下にいるのを見つけて、
「おまえ、狐につままれたのか」
と声をかけると、炊事係は、
「いや、そうじゃない。あれを見ろ」
と大木を指さし、蕗の葉の蟹のことを物語った。
 そこで皆も怪しく思い、かの大木をよくよく見れば、おりしも夕陽が当たってキラキラ光り輝くさまは、どうも木とは思えない。
「あの形の恐ろしさからすると、大蛇にちがいない。だが、キラキラして見えるのは奇妙だな」
と言う者があった。
「キラキラしているのは蟹なんだよ」
と言う者もあった。
 しかし、川を隔てて遠く見ているので、確かに見定めることはできなかった。
 木こりたちは気になって、翌日も、その次の日も、昼休みに見に行った。そうするうち、大木は流れに押し流されてしまった。

 それから五六十日を経て、大雨による洪水があり、里近い川下に大蛇の死骸が流れてきた。
 大蛇の全身には、びっしりと隙間なく小蟹が取り付いていた。
あやしい古典文学 No.1218