『今昔物語集』巻第三十一「大和の国箸の墓の語」より

箸の墓

 その昔のこと、当時の天皇に、一人の娘があった。姿といい振る舞いといい、たいそう優美だったので、天皇も母后も、これを愛し慈しむこと限りなかった。

 娘は、まだ結婚していなかった。そこへあるとき、誰か知らないが見るからに気高い男が忍んで来て、だしぬけに、
「君と夫婦になりたい」
と告げた。
 娘は、取りあえず拒んだ。
「わたしは、まだ男を知りません。どうして、たやすくあなたの言うことに従いましょうか。また、両親の承諾もなしに、そんなことができるわけもありません」
 男は平然として、
「ならば、私のことを話すがよい。たとえ君の父母に知られても、なんの不都合もありはしない」
と言い放ち、その後も毎晩やって来た。
 娘は容易に体を許さなかったが、その一方で、父である天皇に相談した。
「しかじかの人が毎晩来て、あれこれ口説くのです。どうしたらいいでしょう」
 すると天皇が、
「うむ、それは人間ではあるまい。神がおいでになるのにちがいない」
と言うので、ついに決心して、男と深い仲になった。

 その後は相思相愛で睦まじく過ごしたが、娘は男の正体が知れないのが不安だった。
「わたしは、あなたがどこの誰なのか、気がかりでなりません。あなたはいったい何処からおいでになるのですか。わたしを本当に好きなら、包み隠さず、何処の誰とおっしゃってください」
 問われて男は言った。
「私は、この近くに住む者だ。私の真の姿を知りたいのなら、明日、君の櫛の箱にある油壺の中を見たまえ。ただし、それを見ても、どうか恐れないでほしい。もし君に怖がられたら、私は立場がなくなる。二人の仲も終わりになるだろう」
 娘は、
「けっして恐れません」
と約束した。
 夜が明けると男は帰り、その後、娘は櫛の箱を開いて油壺の中を見た。
 壺の中に動くものがある。何だろうと思って持ち上げてみると、極めて小さな蛇であった。こともあろうに油壺に蛇……、娘は、恐れないという約束を忘れ、悲鳴をあげて逃げ走った。

 その夜、また男が来た。ひどく不機嫌で、娘の傍に寄ろうともしない。
 娘は恐る恐る近寄ったが、男は、
「あんなに言ったのに、約束を破って怖がったのは、かえすがえすも情けない。私はもう、二度と来ないことにするよ」
と、憤りをあらわにして、立ち返ろうとした。
「こればかりのことで、もう来ないとおっしゃるのは、あんまりです」
 娘が引き留めようと取りすがったとき、男はやにわに娘の陰部に箸を突き立てた。それで、娘は死んでしまった。

 天皇も母后も嘆き悲しんだが、どうしようもなく、娘の墓を大和国の城下(しきのしも)郡に築いた。
 今、「箸の墓」と呼ばれているのがそれだと、語り伝えている。
あやしい古典文学 No.1224