高力種信『猿猴庵日記』より

幽界の父

 天明四年二月のこと。

 中島郡玉野村の庄屋の息子が、夕方に戸外に出ていたところ、ひどくみすぼらしい身なりの者が来て、三丁村へはどう行くのかと尋ねた。
 道を教えてやると、その者は突然、こんなことを言った。
「わしは、そなたの前世の父だ。およそ百年前、わしは江戸表で侍奉公していて、わけあって切腹した。そのとき、二歳だったそなたも我が手にかけて殺したのだ。以来、わしは幽界を迷いさまよい、そなたはこの家に転生したが、しばらくもそなたの身の上を忘れることはなく、何卒よい立身をさせたいものと思うばかりだった。疑うならば、証拠にこれを与えよう」
 そして一振りの脇差を取り出し、抜身にして刀身ばかりを渡した。
「さて、この鞘は、誰であれこの家の親類の者が拾うだろう」
 言い終わったときにはもう、姿がなかった。

 それから七日後、庄屋の息子は近々婚礼をひかえていたので、結納の酒を買いに、近郷の酒屋へ行った。
 そこに、また前世の父の霊魂が現れた。
「よい立身の段取りができた。わしについて来い」
 同道して森上村の墓所までいたり、父は蓮台に腰かけて、前世からの事々を詳しく書き記して渡した。
 息子はそれを持って家へ帰り、すべて読み終わると、用事があると言って家を出た。
 それっきり行方知れずになったため、代官所にも、その旨届け出がなされた。

 かの脇差の鞘は、川を流れているのを稲葉村の和助という者が拾った。鞘はたいへんな古物だったという。
 また、この和助は玉野村庄屋の親類で、母方の従兄弟だったそうだ。
あやしい古典文学 No.1233