『怪談御伽猿』三之巻「猫小児の小袖を着る事」より

小袖を着る猫

 元文年間のこととかいう。

 相模三浦の天神島というところに、庄兵衛という漁師がいた。
 波静かなある日、庄兵衛は近辺の仲間と海へ舟を出して、ひねもす漁に精出した。やがて日も西山に沈み、海岸で海女の焚く火の影がほのめいて見える時分となった。
 そのころ庄兵衛の妻は、夫の帰りを待ちながら、夕飯の支度などに忙しく立ち働いていた。
 奥の間に小児を寝かせてあったが、そちらの方から何となく妖気のようなものが漂い来るのを感じて、様子を見に行くと、小児が寝ていたはずの場所に、なぜか飼い猫が臥していた。
 猫はふと起き上がり、身震いしてから二本足で立った。小児が脱ぎすてた小袖を着て帯を締め、人のように歩んで鏡の前に立つと、わが姿を映してうっとりと見入った。
 妻は大いに驚いて、ちょうど帰ってきた庄兵衛に話したが、奥の間へ行ってみると、猫はどこへ行ったのか、もう姿がなかった。
 さいわい小児に別条なかったので、夫婦はほっとして、いなくなった猫のことは捨ておいた。

 その年の夏が終わり、秋が去り冬も過ぎて、新年の春を迎えた。
 初網を引こうと、庄兵衛は人を集め、朝早く出かけた。妻は小児に添寝して、うつらうつらと眠っていた。
 庄兵衛が早々に舟を漕ぎ戻して家に帰り、何気なく奥を見ると、例の猫が妻と同じ背丈になって、妻に添い臥して寝ていた。
 庄兵衛は肝の据わった男で、このとき少しも騒がず、手近にあった大きな包丁を持ち、抜き足差し足近づくと、目を覚ましかけた猫に飛びかかって切り殺した。
 その音に妻も飛び起きた。
「子に乳を飲ませているうち、むしょうに瞼が重くなって、前後も知らず眠りこけたので、あなたの帰りも分からなかった」
と夫に話したが、その後の二三日は、心地が悪かったらしい。

 これは、庄兵衛の友人の孫太郎という人が語った話だそうだ。
あやしい古典文学 No.1238