『今昔物語集』巻第二十七「東人川原院に宿りて妻を取らるる語」より

川原ノ院

 昔、東国から、貴族の位を買うために、京都へ上って来た者があった。その妻も、「ついでに都見物をしましょう」と言って、夫と一緒に来た。
 ところが手違いがあって、予定していた宿に泊まれなくなった。
 思いがけないことで困ってしまったが、つてを頼りに、もと源融(みなもとのとおる)大臣の邸宅で今は空家になっている川原院(かわはらのいん)を、管理人に事情を話して貸してもらった。
 邸の表から見えない放出(はなちいで)の部屋に幕などを引きまわし、そこを主人の居室にした。従者たちは土間にいて、食事を作ったり馬を繋いだりして数日逗留した。

 ある日の夕暮れどき、主人の居室の後方にある板扉が、奥の方から押し開けられた。
 『奥に誰かいて、その人が開けたのだろう』と思っていたら、得体の知れないものの手がすっと伸びて、そこにいた主人の妻を捉え、扉の奥に引き込もうとした。
 驚いた夫が、大声で騒いで引き戻そうとしたが、あっというまに引きずり込まれた。扉に駆け寄って引き開けようとしたが、たちまち堅く閉じて、それきり開かなくなってしまった。
 ほかの格子戸や引き戸など、奥へ通じる戸を開けようとしても、すべて向こうから鍵がかかっていた。狼狽して部屋の中を走りまわり、なんとか戸を開けようと力を尽くしたが、どうしても開かなかった。
 近所の家へ走ってゆき、わけを話して助けを求めると、大勢の人がやって来て、建物の周りを回って調べた。しかし、奥に入れる箇所は見つからなかった。
 そのうち夜になり、暗くなった。そのままにしてはおけないので、斧を持ち出し、戸を叩き壊した。
 火を灯して中に入って探すと、妻は外傷のないまま、くたくたの平べったい死体になって、衣紋掛けの棹に掛けてあった。
「鬼が吸い殺したにちがいない」
 人々はそう言って騒ぐばかりで、もはやどうすることもできなかった。
 妻がこのように殺されたので、夫は恐れをなして、邸から逃げだした。

 こんな不思議なことも、時にはあるものだ。
 だから、様子の知れない古い邸なんかに宿をとってはならないと、語り伝えている。
あやしい古典文学 No.1243