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上野忠親『雪窓夜話抄』巻之七「怪僧福正院の事」より |
怪僧福正院 |
米村平作という人が、鳥取藩勘定所の元締役を務めていたときのことだ。 大火で本宅を類焼し、町屋を借りて住んでいるうち、土蔵に収めてあった御用銀三貫目が紛失した。保管役の下石某という者が、手を尽くして調べたけれども、どうなったのか分からなかった。 そのころ、隣国伯耆の倉吉から、福正院という名高い験者の僧が、鳥取の城下へ来ていたので、これ幸いと米村の仮宅へ招いて占わせた。 「それは何月何日に、何某という者が盗ったのです」 福正院がはっきり名指ししたので、その線で取り調べたところ、寸分間違いなかったそうだ。 真実はどうだったか知れないが、世上で取沙汰して、験者の評判は高まった。 福正院はあちこちから占いに呼ばれ、するとその都度、占いの依頼者の心中を読んで、ことごとく言い当てた。人々は大いに驚き、所願のある者は誰もかれも、この僧に祈祷を頼むようになった。 智頭街道の何屋とかいう者の家が、福正院の旅宿であった。 あと四五日で倉吉へ帰るというとき、近所の町人が旅宿へ来て、宿の主人と僧と三人で四方山話をしていたところ、門を激しく叩く音がした。 主人が戸を開けて、誰かと問うと、御家中の某という人からの使者であった。 「夜中ながら、急用があるゆえ、使者と同道してすぐに来られよ」 とのこと。 そういう呼び出しは常のことだったので、僧は承知して身支度し、使者に提灯を持たせて、空を駆けるかのような急ぎ足で出ていった。 近所から来た町人も、愉快な談話の興がさめ、主人に暇乞いして帰ろうとしたが、ふと、『あの僧が慌てふためいて門を出るとき、何か落としたような音がしたなあ』と思い返した。 じっさい、門から一足外へ踏み出すと、何か踏みつけた物がある。夜中なので何とも分からないまま拾い上げ、袖に入れて我が家まで持ち帰った。 家で行灯を引き寄せて見たら、袱紗で包んだ香箱だった。 『僧が懐中から落としたのは、これだったのか。しかし、こんな小さい物の落ちた音が、家の奥にいた我が耳に聞こえるはずがない。また、もし我が耳に聞こえるほどの音なら、本人にはもっとよく聞こえたはずなのに、まるで気が付かなかったのは不審千万……』と思うにつけても、そのままにして置きがたく、持仏堂の中に収めて、その夜は床についた。 福正院のほうは、先方へ行って、いろいろ言っても一つも当たらない。 そこで気が付いた。『宿の門を出たときに、袂に入れた外法(げほう)の箱を落としたのではないか。袂の内を探っても、何もない。言うことがことごとく外れるのは当然だ』。 もはやその場にいても心そこにあらずで、適当に挨拶して、宿へと引き返した。しかし、門前を探しても見つからない。 『夜中のことだから、人の出入りもない。ただ、先刻来ていた近所の町人は、自分が出かけた後にまだ残っていた。あの者が帰る際に、戸外で拾ったのか。ほかには考えられない。うむ、あの町人が拾って持ち去ったのだ』。こう思って、ただちに町人の家へ行った。 「尋ねたいことがある。急ぎお会いしたい」 「もう真夜中で、この家の者はみな寝ております。用事があるなら、明日また来てください」 「いや、今夜中に会わねばならぬ急用なのだ」 町人はしかたなく起きて火をともし、僧を屋内に呼び入れて、座についた。座った場所の後ろは持仏堂で、その内から、 ――今、落トシタ本人ガ取リ返シニ来タゾ。タヤスク返シテハナラナイゾ―― と囁く声が耳に聞こえた。 そのとき僧が座敷に入ってきて、開口一番こう言った。 「あなたは先刻、旅宿の門外にて、袱紗に包んだ物を拾われたはず。あれは、拙僧が露命を繋ぐための、大切な物だ。なにとぞお返し願いたい」 町人は、 「いや、いっこうに覚えがありませんが…」 と、一度はごまかそうとしてみたものの、相手が、 「馬鹿な。そんなはずはない。是非お返しを」 と強硬に迫り、拒むならその場で打ち果たしもしようかという顔色に見えたので、このうえは隠してもよくないと思い直した。 「そういえば、おっしゃるような物を拾いましたよ。あなたさまの持ち物とは知りませんでした。では、こうしましょう。なにがしかの代価をいただいて、お返しするということで……」 「おお、返してくださるか。まことに有り難い。なんと礼を言ってよいかわからないほどだ。代価として、持ち合わせの銀五百匁を差し上げよう」 町人は、それほどの物とは思わなかったので、五百匁と聞いてすぐに承知しようとした。ところが、また持仏堂から声があった。 ――五百匁デハ話ニナラナイ。モット銀ノ蓄エガアル。受ケルコトハナイゾ―― これを聞いて町人は言った。 「代価がたったそれだけでは、お返しすることは難しい」 「ううむ、では仕方ない。一貫目でお願いしたい」 五百匁で飛びつきそうだったのに、それが倍になったのだから、ここで手を打って返そうと思ったが、持仏堂からは、 ――マダ残リガ大分アルゾ。承知ハ無用ダ―― と言うので、 「そればかりの銀子では、お受けできない」 と拒むと、僧は大困惑して、一貫目から一貫五百匁、さらに二貫目まで上げた。 町人は、『もうこれくらいでよかろう。この僧が、これ以上は無理だと諦めてしまったら元も子もない。自分が持っていても、半文銭の値打もない物なのだから』と、今度こそ受けようと思った。しかし持仏堂の声は、 ――マダマダ―― と引き留める。それで、なおも受けずにいると、ついには、 「ええい、では三貫目。手持ちの全部だ。これ以上は逆さにして振るっても出せない」 と言った。そのとき、持仏堂からは何の声もなかったので、町人は、これまでなのだなと思った。 「では銀三貫目、ご持参あれば、お返ししましょう」 僧は袋の底をはたいて銀子を支払い、 「日ごろ蓄えた三貫目を失ったが、これがあれば、また稼げるだろう」 と、取り返した箱を三度うやうやしく頭上にささげてから、帰っていった。 倉吉からはるばる鳥取まで来て、諸方を駆けずり回って儲けた銀子をすべて取られ、手ぶらで倉吉へ帰るはめになった僧にとって、かの箱ははからずも貧乏神となった。 いっぽう町人のためには、大いなる福の神であったが、それにしても、町人が僧と向き合っているときの持仏堂からの声が、町人の耳にだけ聞こえて僧には聞こえなかったのは、不思議なことである。 |
あやしい古典文学 No.1248 |
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