花洛隠士音久『怪醜夜光魂』巻三「千葉右近扶桑遊仙窟を作る事」より

地中人

 伊勢の桑名に、良伝という世捨て人がいた。地元の人の情けによって、小さな草庵に住んで餓えず凍えず、欣求浄土の勤めも怠りなく暮らしていた。

 ある朝、良伝は、遠方に用事があって出かけた。独り住まいだから、門をよく閉めて錠を下ろし、鍵は家主に預けておいた。
 昼過ぎに帰って家に入ると、釜の下の火が、朝夕の飯を炊くときのように燃えていた。驚いて火を消し、釜の蓋を取ってみたら、本当に米を入れて炊いているのだった。
 良伝は怪しみながらも、近所の若い者の悪ふざけかと思って、そのままに済ませた。
 ところがその後も、良伝が留守のたび、飯を炊いて飯櫃に移してあったり、誰かが食事したらしく食器が取り散らかっていたりした。
 このことを家主に話したところ、
「きっと狐などの仕業だろう。このままにはしておけない」
と、男どもに狐の穴を捜させた。
 草庵の畳を上げ、敷板を外してみると、一メートル四方、深さは二メートル近い窪みがあった。窪みの中に、身の丈一メートルに満たない坊主がいた。
「この曲者め!」
 引きずり出してみたら、齢の頃は八十ばかりの老法師で、人の顔を見て、ただ笑っていた。
「狐が化けたものだ」
 人々はそう言い合って、松明を近づけて煙責めにしたが、法師はなおもにこにこ笑って、苦しむ気配もなかった。
「もしや、人間か」
と問うても、答えない。若い者が集まって、
「こんな怪しいやつは、叩き殺そう」
という話になったところで、一人の老人が進み出て言った。
「わしは、若いときに聞いたことがある。越前の家中で、こういう者が出て庭で遊ぶのを、侍が鉄砲で撃ち殺したそうだ。しかし、人に害をなしたりする者ではないのだ。出ることが凶兆というわけでもない。北国では『下屋入道』と呼ばれる。命を取っても仕方がないから、どこか遠くへ追い放つのがよかろう」
 皆はこれに賛同して、二里ばかり離れたところに連れていって、捨てた。

 そのから六年ほど過ぎた。
 ある寺に水のない古井戸があったが、それを埋めようということになって、あたりの草を押し分けて覗き見たら、井戸の内に人がいた。
 かつて良伝の草庵に出た、奇怪な老法師だった。
 みなが寄って見るに、六年前の姿に少しも変わるところがなかった。

 中国の『捜神記』という書には、「地中に犬あるを『地狼』といい、地の中にある人を『無傷』という」とある。
 怪法師は、この「無傷」のたぐいであろうか。
あやしい古典文学 No.1250