上野忠親『雪窓夜話抄』巻之七「伯州のたふべう狐の事、備前のたふべうの事」より

とうびょう持ちの話

    (一) 伯耆のとうびょう

「伯耆の国には、村々に<とうびょう持ち>、すなわち<とうびょう>を持つ者がある。ことに倉吉あたりに多くある」と、ある人が語った。
 <とうびょう>を持つことは国法で厳しく禁じられており、また土地の人々にも嫌悪される。だから、それを持つ者は他人に深く隠して、けっして口外しない。
 <とうびょう>とは何かというに、<とうびょう狐>といって、一般の狐とは異なる種の狐である。形は普通の狐だが、はなはだ小さくて鼬くらいの大きさだ。見たことのある人も多い。
 その狐のもともとの持ち主を先祖とする家において、子孫代々に伝わり、その家を離れない。世に犬神といわれるものと少しも違わない。

 <とうびょう持ち>がよその家へ行って、そこの何かを欲しいと心の中で思うと、本人も知らないうちに<とうびょう>がその家の人に憑いて「あれが欲しい!」と口走らせ、あさましい本心を知られて恥をかいたりする。
 また、誰かへの遺恨を心中に抱くだけで、相手に憑いて仇をなすことがある。
 もちろん、自ら望んで「あれを手に入れてくれ」とか「あいつに復讐してくれ」などと頼んだなら、必ず相手に憑いて悩ませる。それで、相手のほうは仕方なく所望に応じてしまったりする。
 先年、倉吉で牛疫が流行って、多くの家畜が死んだとき、<とうびょう持ち>がまじないを頼まれ、家畜の病気を即座に治して、多くの米や銀を儲けた。しかし、そもそも<とうびょう持ち>が感染させた疫病であることが露見して、追放された。
 こうした話も、犬神の場合と同様である。

 「古い書物に『狐のことを専女(とうめ)ともいう』と記されている。<とうめ>と言うべきところを誤って<とうびょう>と言ったのではないか」と述べた人があった。なるほど、そうかもしれない。
 ともあれ、<とうびょう>は犬神と同じく、持ち主に飼われて末代までその家を離れることがないが、これと異なる「外法(げほう)」というものがある。
 外法は、持ち主のことを気に入っている間は離れない。しかし、それは一時のことで、やがて疎んで離れようとする。
 外法にその心が生じれば、持ち主がどんなに用心しても脱け落ちて、他の人の手に拾われ、その人に不思議な力をもたらす。しかし年を重ねると、またその人を離れようとするのである。
 外法に疎まれてからは、もはや何を占っても一つも当たらない。世間の人に用いられなくなって、貯め込んだ財産も雪霜の消えるように失われ、極貧となって路傍に餓死する運命をたどる。
 何事も左前となって為す事すべて失敗するのを「外法の下り坂」というのは、ここからきたものだとか。
 もともとが邪法だから、いったんは利益を得たようでも行く末が悪いのは自明で、結局は無益なものなのである。


    (二) 備前のとうびょう

「備前の国にも、<とうびょう持ち>というものがある」と、ある人が語った。
 備前の<とうびょう>は狐ではなく、キセルの筒ほどの小蛇で、長さは七八寸に及ばない。それを家ごとに一匹二匹と飼っている村里がある。
 村人は、すき好んで飼っているわけではない。内心は鬱陶しく思っているのだが、いつの時代かの先祖が飼って所持したことがあると、もはやその家を離れず、子孫に伝わって、末代まで所持し続けることになる。
 犬神と同類であって、他人と争ったときや、他家の人あるいは往来で出会った人のことを『あの者は憎々しい顔つきだ』などと思ったとき、また他人の持ち物を羨ましく思ったとき、<とうびょう>は飼い主の一念の微動を知り、間髪を入れず相手の家へ向かう。
 蛇は、誰の目にも見えることなく相手の皮肉の間に入り込んで、日夜悩ませる。もし相手がそのわけに気づき、飼い主が納得するような対処をして和解すれば、たちまち苦しみが去って健康に復する。わけを悟らず、和解しなければ、<とうびょう>は終には相手を悩死せしめるのである。
 飼い主自身は、さほど深い執着がなくても大事になってしまうから、はなはだ煩わしく思うが、自分の意志で<とうびょう>と縁を切ることができない。その蛇を殺しても、やがて元通り立ち戻って、家から絶やすことができない。
 さらに、蛇が飼い主に怨みを抱いたときには、飼い主の皮肉の間に入って責め殺すこともするから、<とうびょう持ち>は蛇を、神のごとく崇め奉るのだそうだ。

「当国因幡にも、昔、備前の人が多く入りこんだため、その子孫で<とうびょう持ち>の人が珍しくなかった。そんな人の体をつぶさに見ると、皮膚の下に小蛇のような筋が見えた」と、ある老人が語った。
 しかし、いかにしてか当国の<とうびょう持ち>は絶えて、今はどこにもいない。
「皮下の筋のように見えるところをコウノトリの嘴で突くと、病人の容態がよくなるという話だった」と、これも同じ老人の言葉である。

 <とうびょう持ち>に子孫がなければ、血筋の者をたずね、その人に頼んで蛇を渡さねばならない。さもないと、蛇は自ら所縁の家へ赴く。少しでも縁のある者は、これを避けることができない。
 備前には、今も<とうびょう持ち>ばかりが住む一村があって、各家でそれぞれ一匹二匹持たない者はない。所持する人の数が多くなれば、年々蛇の数も多くなる。
 <とうびょう持ち>と知れば、誰もが忌み避けて近寄らないから、世に交わる人がいない。国中で嫌悪する結果、これらの者を陸地と離れた島に移し、島から出て徘徊することができなくした。その島の名は忘れてしまったが…。
「狐を『専女(とうめ)』から<とうびょう>と名付けたのはもっともだけれども、蛇を<とうびょう>と名付けたのは理解できない」と言ったところ、ある人のいわく、
「婦人のお歯黒壺のような高さ五六寸の小さな瓶の中に、かの小蛇を入れて、家々のかまどの上に置き、朝夕に最初の飯湯を瓶に酌み入れて養う。それで、『湯瓶(とうびょう)の蛇』という意で言うようになったのではないか。だから、狐とは同音の<とうびょう>でも意味が別なのだ」と。
 これも一理ある説だ。      
あやしい古典文学 No.1252