長山盛晃『耳の垢』巻三十三より

化子権三

 天明のころ、化子権三という者がいた。「化子」とは、乞食のことである。生まれは秋田郡五十目村だというが、定かではない。
 権三は、いつも久保田城下や湊町などの人の多いところで物を乞うた。ただし、一銭以上はあえて求めず、それ以上遣ろうとしても辞して受けなかった。ある人が銭百文を投げ与えたところ、その内から一文を抜き取り、残りは返した。権三の行いは、すべてこのようであった。

 春の桜の盛り時分、谷橋の法塔寺の境内で、権三がふだんは身に巻いている筵を地面に敷き、端座して花を眺めていた。
 花見客の若い衆がこれを見て、「化子も花を見るか」と嘲笑したところ、権三は応えて、
   菰着ても同じ香ひの桜かな
と詠んだので、笑った人々は大いに恥じ入ったという。
 なお、法塔寺の七面の社前の桜には、短冊に書いて付けた権三の発句で、
   登り下り七面堂や山桜
とある。ほかにさまざまの句があるらしいが、筆者は知らないので、ここには記さない。

 権三は、親しい人から「化子をするより、私のところへ来て暮らしてはどうか」と勧められたが辞退し、七十余歳まで、ここかしこを歩行していた。
 その終焉は知らない。
あやしい古典文学 No.1149