浅井了意『新語園』巻之六「血ヲシボリテ酒ト為ス」より

河神

 中国の南北朝時代、後魏の皇帝の衛士に洛子淵(らくしえん)という者がいた。
 洛子淵は、彭城の地で守備隊の任務についており、隊の同僚に、樊元宝(はんげんほう)という者がいた。
 あるとき洛子淵は、休暇を得て帰郷する元宝に、一通の手紙を託した。

 元宝は帰郷の途次、洛河のほとりで一人の老人に会った。
 託された書状を示すと、老人はそれを受け取り、ことのほか喜んだ。
「我が子の手紙を、よくぞ届けてくださった」
 老人は、元宝を屋敷に招き入れて寛ぐよう勧め、女中に酒の用意をするよう命じた。
 そのあと、元宝がふと見ると、女中が一人の死んだ少年を抱えて向こうを通り過ぎ、厨房へ入っていった。
 まもなく酒が出た。見事に色が紅く、香りの素晴らしい酒だった。美味にして言葉を失うほどだった。
 酒に合わせて、山海の珍味を尽くした御馳走が供された。ようやくもてなしが終わり、元宝は丁重に送り出された。
 しばし歩んで振り返ると、もはや屋敷は跡形もなく、ただ洛河に広がる満々たる水と、岸を洗う波があるばかりだった。
 溺死したらしい十四五歳くらいの少年が、鼻から血を流しながら漂っているのが見えた。
 『あの屋敷で飲んだ酒は、この少年の血だったのだ』と、元宝は悟った。

 元宝が休暇を終えて彭城に戻ったとき、洛子淵は既に姿を消していた。何処へと立ち去ったのか、誰も知らなかった。
 洛子淵父子は、おそらく洛河の河神であったのだろう。
あやしい古典文学 No.1266