花洛隠士音久『怪醜夜光魂』巻二「桑田村の百姓作助といふ者轆轤首になる事」より

悪い首

 「轆轤首(ろくろくび)というものがある」と世に語り伝えられているが、見たという者はなかなかいない。
 中国の『太平廣記』『酉陽雑俎』『異物志』などに記事がある。『本草綱目』には「飛頭蛮」という名で書かれている。
 飛頭蛮の頸部には痕があり、夜、病めるがごとくに意識を失うと、首が痕のところから胴を離れ、川岸の泥沼へ飛んで行って、蟹や蚯蚓(ミミズ)の類を食いあさる。朝になると元の胴に飛び戻って、夢から醒めるように目覚めるのだという。多くは女にあることらしい。

 さて、ここに轆轤首についての確かな聞き伝えがある。

 奥州の桑田村というところに、作助という百姓がいた。
 作助は、一里ばかり離れた藤田村に住む太郎八の一人娘に恋慕して、朝夕想い暮らしていた。
 あるとき、たまたま娘に出会ったのをいい機会に、あれこれ言ってしつこく口説いたが、そもそも作助には妻があったので、まったく相手にされなかった。
 娘は十九歳の春、藤田村の庄屋の次郎太夫のところへ嫁に行った。作助はそれを聞いて、『ずっと前からあの娘に心をかけ、いつかものにしてやろうと思っていたのに、もはや亭主を持ったのでは、想いの遂げようがない』と、ひどく嫉妬した。
 作助がふさぎ暮らしていたその夏の、ある夜半のこと。
 次郎太夫の家の夫婦の寝室の窓に、一陣の風とともに何ものかが来て、ちらちらと見え隠れした。
 あやしい気配を感じて次郎太夫がふと目を覚まし、蚊帳越しに見ると、誰かが窓から覗いていた。盗人かと思って月明りでよくよく見ると、どこかで見覚えのある男の首ばかりが、窓の外を蝶か鳥のごとく飛び回り、部屋に入ろうとしながら、ためらっているのだった。
 豪胆な次郎太夫は、煙草盆の中の銅の灰皿をそっと掴むと、蚊帳から出て待ち構えた。
 首はついに、窓から入ってきた。そこを狙いすまして灰皿を投げつけたが、仕損じた。しかし首は驚き慌てて、いずこかへ飛び去った。
 妻は、首が窓から入ったときに、激しく怯えてうなされた。次郎太夫が揺り起こして、どうしたのかと尋ねると、
「ああ、怖かった。わたしがまだ親元にいたころ、桑田村の作助という男に懸想され、人づてにも、じかにも言い寄られましたが、はねつけました。その作助が、今夜の夢で窓から覗き込み、首だけ抜けて入ってこようとしたのです。怖くて、思わず大声を出してしまいました」
と言う。
 次郎太夫は、『そう言われれば、あれはおりおり見かけた桑田村の作助だった。さてはあいつ、わが妻にいまだ執着して、その一念が現れ来たのか。いや、あれこそ話に聞く飛首というものか』などと思いめぐらしつつ、妻には何も言わず、『また来たら、目にもの見せてやる』と、四五日は夜も寝ずに待ち構えた。
 しかし、灰皿を投げつけられたのに懲りたのか、その後再び来なかった。妻に尋ねても、先夜のような悪夢はあれから見ないという返事だった。

 次郎太夫の家は、それですんだ。
 しかし、こんどは藤田村のあちこちで、紙入れやら帯やらが失せる事件が起こった。今日は誰それの家で何がなくなった、今日は某所で物が見えなくなったという騒ぎで、あれこれ詮議したが、いっこうにわけが分からず、みな不思議がるばかりだった。
 そんなある日、次郎太夫は、用事があって五六里離れたところへ行き、帰りは夜になった。
 桑田村を夜陰に通るとき、かの作助の家の近所に至ると、向こうから風の吹くがごとくにして宙を来るものがあった。飛首のことを思い出し、隠れて様子を見ていたら、作助の首が帯のようなものを咥えて、我が家の窓に飛び込んだ。
 首は、白い虹のようなものを細く引いて飛んでいた。その素早いことといったらなかった。
 次郎太夫はすべてを見届け、藤田村の失せ物の犯人はこれだと確信した。
 家に帰って夜が明けると、村の者四五人と相談して、一か所にさまざまな道具を取り散らかし、その中に弓の名手を潜ませることにした。
 その夜、みな寝入ったふりをして待っていたら、予想どおり真夜中に首が飛んできた。諸道具の中にあった財布を咥えようとするところを、名手が半弓で射ると、首に命中した手ごたえがあった。
 首は飛び去ったけれども、跡には血が流れていた。
「よし、仕留めたにちがいない」
 みな喜び、翌日、桑田村へ出向いて作助の噂を聞くに、昨晩のうちに死んだという。
 作助の家へ行くと、女房は死骸に取りついて泣いていたが、不意に大勢が来たのに驚き、
「さては、作助はおまえがたが殺しなすったか」
と大いに怒って食ってかかった。
「そうとも。われらのしたことだ。応分の報いだよ」
 女房はいよいよ腹を立て、
「仇をとらずにおかないぞ」
と罵り騒いだが、次郎太夫は地元桑田村の者を多数呼び集め、藤田村で盗まれた品々を記した書付を示して、作助の首の所業を詳しく語った。
 地元の村人は半信半疑で、作助の持ち物を取り出して詮議したところ、書付のものがことごとく見つかった。はなはだ驚いて、それぞれ吟味のうえ、ひとつ残らず元の持ち主に返そうということになった。
 作助の女房は、それを見て、面目ないと思ったか、人目に紛れて井戸へ身を投げて死んだ。

 これは、藤田村の百姓の杢左衛門という者が語った話である。
 昔からの言い伝えの中にも、このような珍しい飛首はないであろう。
あやしい古典文学 No.1286