『西播怪談実記』巻二「東本郷村太郎左衛門火焔を探て手青く成し事」より

火焔の妖

 播磨国の作用郡東本郷村に、太郎左衛門という旧家の農民があった。暮らし向きは裕福で、下男下女も大勢召し使っていた。

 元禄年間のある年、九月中旬のこと、太郎左衛門は所用があって近村へ行き、帰りは夜更けになった。
 折悪しく雨のそぼ降る暗い夜だったが、長年通り慣れた道だから、傘をさしてそろそろと歩み行くと、とある薮陰にちろちろと火が燃えるのを見た。
 『これが話に聞く「火焔」という怪妖か。よし、はっきりと見届けてやる』と思って、足音のせぬようそっと近づいた。しかし、あと三、四間になったとき、火はぱっと消えて跡形もなくなった。
 また燃え出るかもと、しばらく待ったけれども、虫の声ばかりがして、いっこうにその気配がない。
 『待っても無駄なようだな。あれが本当に燃える火なら、燃えていたところが暖かいはずだ。もし狐狸が見せるような幻影なら、温もりもないはず。調べてみよう』と、場所の見当をつけて探ってみた。
 太郎左衛門はひとしきり手探りしたが、これといって何も感じなかったので、そのまま我が家へ帰り、床に就いた。
 翌朝起きて、顔を洗おうとして驚いた。左右の手の肘から先が、真っ蒼になっていた。すぐに『ゆうべ火焔のところを探り回したからだ』と気づいて、慌てて洗い落とそうした。
 いくら洗っても、色は容易に落ちなかった。二、三日は蒼いままで、その後だんだん薄くなっていった。

 これは、筆者が親戚の家でたしかに聞いた話を、書き記したものである。
あやしい古典文学 No.1295