静観房好阿『怪談楸笊』巻二「蕣花の妖怪」より

首なし幽霊

 某藩に、朝顔をこよなく愛する武士がいた。ことに花の咲くころには、寝食を忘れるほどだった。
 夜は更けゆくまで竹垣の傍らに立って、無心に蔓をまとわせた。朝はいまだ明けないうちに起き、花の開くのを待ってひとり喜びに浸った。昼になって萎れるのを見ては、憂いに沈みこんだ。
 このように毎日、日の盛りも門内に閉じこもって外へ出ず、ただ朝顔に一喜一憂していたので、「忌籠(いごもり)」と異名を付けられていた。

 ある夕暮れのこと。
 武士が下葉の枯れたのを取り捨てようと庭へ出たところ、朝顔を押し分けながらやって来るものがあった。
 蔓を傷められることを危ぶんで、急いで追い払おうと近づいてみれば、首のない死骸が、蟇蛙のごとく這って来るのだった。
 ぞっと身の毛がよだち、思わず後ずさりして縁側に上がった。雨戸の陰に逃げ込み、隙間から覗くと、首なしの死骸は庭をのそのそ這い行き、垣根を超えて隣家の座敷の床下に這い込んだ。
 隣家は、藩の老臣の屋敷であった。妖怪が入り込んだことを知らせるべきか迷ったが、確かな証拠もないことを言い出して後難がふりかかるのは避けたいと思い、黙っていた。
 しかるに、その夜から隣家の主人は病みついて、ほどなく死んでしまった。それを聞いて、武士は『やっぱりなあ』とひとりうなずいた。
 じつは、隣家の主人は主君の領地へ行って、行き違いから罪なき百姓を殺害したことがあった。百姓は、首を刎ねられる瞬間まで、
「魂魄をこの世にとどめて、きっと思い知らせてみせる」
と怨み罵ったという。その死霊の祟りだと納得されたのである。

 その後、武士は、朝顔の中を分けて這い出した妖怪の気味悪さが思われて、朝顔を愛せなくなった。結局、みな根元から掘り返して捨ててしまった。
 友人たちは不審がり、
「あんなに朝顔好きで知られた貴殿が、なにゆえ急に朝顔を嫌い憎むようになったのか」
と再三尋ねた。
 やむをえず妖怪のことを話すと、友人たちは、
「かの百姓の霊があの人の命を取ったにちがいないとは、誰しも思っていた。が、首なしで這って来たとは…」
と言って、舌を巻いて恐れたのだった。
あやしい古典文学 No.1300