『本朝故事因縁集』巻之三「備後国狐蹄掛」より

猟師の念仏

 慶長年間のこと。

 備後の三原に、罠を仕掛けて狐を獲る名人の猟師がいた。
 その猟師が、高僧の導きで殺生をやめ、法体となって、念仏して後世を願うようになった。
 すると、長年の間に獲られた狐の怨霊や、獲り残した狐どもが、幾千万というほど限りなく眼前に現れ、さまざまな妖術・呪術をなして、猟師の一門の者を次々に取り殺した。
 猟師は、思いがけない事態に驚いた。
「我は、悟りを求めて、仏の道を護ることに決めたのだ。だから、ここはひとつ、念仏によって汝らを滅ぼしてやろう」
 数珠を取り出して<南無阿弥陀仏>を唱え、ひたすら念仏で攻撃したが、狐はそれを笑い飛ばした。
「われらが畜生道には、仏も念仏もない。その木切れで作った仏とかいうものが、何の役に立つというのだ。木を玉みたいに丸めた数珠とかいうものが、何ぞの用に立つと思うのか。そんなものを揉んで、汗を垂らして念仏する格好が可笑しいわ。おまえが罠を仕掛けていたときは、その餌を取れば死ぬと知りながら、畜生の浅はかさゆえにこらえられず、まんまと掛かって命を落とし、ただただ恐ろしく思ったが、今は出家して念仏を唱えるだけだから、恐ろしくもなんともない。よい機会だから、一門ことごとく滅びるさまを見物するがよい」
 狐どもが口をそろえてこう言うと、今まさに取り殺されようとしている病人たちも、同じことを譫言(うわごと)に言いながら悶え苦しんだ。
 ここにいたって、猟師は念仏・祈祷をやめた。
 きっぱりと数珠を切って捨て、もとの猟師に戻って狐罠を仕掛けたら、狐の妖術・呪術は止んだ。
あやしい古典文学 No.1302