『天明紀聞寛政紀聞』より

残暑光物

 寛政十年の旧暦七月の初めごろは、快晴が続いて残暑ことのほか厳しく、夜になると火玉が頻りに飛行した。往来の人で、これを見た者は多い。
 萩原鐐太郎氏も小石川を行くときに見かけ、そのあと龍慶橋を渡りかけたときにも、横町から一つ飛び出したのを見たそうだ。
 筆者も見た。自宅の庭先の床几で涼んでいるとき、隣家との境に火玉が落ち、たちまち消え失せた。
 また、前月二十三日の深夜には、筑土下片町で、沢仁左衛門屋敷前の石橋の向かいに、大提灯ほどもある火焔の塊が出た。それは地上十数メートルのところに、二時間ばかりも留まっていた。
 これを伝え聞いた筆者は、すぐにその場所へ駆けつけたが、すでに跡形なく消え失せていた。
 すべて、あまりの炎暑の烈しさのため、火気が凝集して起こったことであろう。

 このごろ聞いた話では、同月一日、落雷のため、京都東山の方広寺大仏殿が全焼、仁王門も類焼し、翌日まで火が消えなかったとか。
 あれほどの大建築が一時で灰燼に帰したのは、大変残念なことである。
あやしい古典文学 No.1305