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速水春暁斎『怪談藻塩草』四之巻「池の霊子を生し話」より |
名付け親 |
深山幽谷に棲む怪物が、時として人里に出て女に淫し、子を産ませ、その子をまた山に連れ帰るといったことは、古くから語り伝えられているし、そんな出来事があったと直接聞くことも多い。 丹後国の三石村に、吉右衛門という男がいた。 吉右衛門の女房は、ある夜、異体のものがきて自分と交わる夢を見た。それは夢にとどまらず、懐妊して十月の後、一人の男児を産んだ。 その子は生まれつき身体が萎えていて、成長しても足腰が立たず、言語もはっきりと話せなかった。 三石村では昔から、子が生まれると他人に名を付けてもらい、その名付親が存生の間は毎年、歳暮の祝いとして米一俵を贈る習わしがあった。しかし、その子は不具ゆえに誰も名を付けてくれず、ただ「萎え」と呼ばれていた。 その子が十四歳の年の暮れのこと、父母は彼を前にして嘆いた。 「おまえの兄をはじめ、ほかの子供らはみな名付け親に米を届けに行くのに、おまえはどういうわけか不具に生まれ、名付け親さえなく、われらの足手まといになっている。早く死んで、次は常人に生まれ出てくれ」 すると子は、思いがけず言い返した。、 「ヤア、オレニモ米ノ俵ヲクレヨ。名付ケ親ニモッテイクヨ」 吉右衛門は大いに嘲笑った。 「おまえなんかに、どこのだれが名を付けるというんだ」 しかし、 「タノムヨ。ドウデモオレニ米ヲクレヨ」 と言い張るので、両親は米一俵を庭に出し、 「わずか一間も歩けない萎え者のくせに。この俵に手をかけることすらできまい。さあ、望みどおりおまえにやるから、名付け親とやらに持って行け」 とからかった。 ところが、子は満面の笑みを浮かべてすっくと立ちあがり、つかつかの俵に歩み寄って軽々と持ち上げるや、後も見ずに家を出ていった。 両親は腰を抜かさんばかりに驚いた。 「こいつはあきれた。萎えが立ち上がるのさえ大ごとなのに、重い俵を苦もなく担いで出たのは奇ッ怪このうえない。それにしてもあいつ、どこへ行くのか」 吉右衛門は、子のあとを見え隠れに尾けていった。 子は飛ぶように馳せ行き、やがて山道にかかって駆け登っていく。いよいよ怪しく思ってついていくと、やがて山の奥の大池のほとりに至った。 その池は昔から主が棲むといわれ、誰一人として小魚さえ獲ることないまま、蒼々とした深淵となっていた。 子は水面を、平地を行くがごとくするすると歩いて、池の真ん中にまっすぐに立ち、俵をどうと池中へ投げ落とした。 と同時に、にわかに空がかき曇り、篠つくごとき雨が降りしきった。池水が激しく逆立つなか、子は立ったまま水底に沈み去った。 吉右衛門は恐れおののき、転げながら山を駆け下った。麓まで来ると、暗かった空が嘘のように晴れ渡って、雨の降った形跡などまるでなかった。 その後、三石村にも吉右衛門の家にも、何の障りもなかったそうだ。 |
あやしい古典文学 No.1308 |
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