阿部正信『駿国雑志』巻之二十四上「花畠の怪」より

花畑の怪

 永禄三年五月のある夜、駿河府中でのこと。

 今川治部大輔義元の館の後園の花畑で、婦女子の声がして、
「熟し柿 熟し柿 なるみの果てぞ 悲しけれ」
と、拍子をつけて謡い、そのあと、十人ばかりが、
「悲しやなァ」
と声を合わせてどっと泣いた。
 小倉左京進という家来が怪しんで行ってみたが、不審な者も気配も、何ひとつなかった。

 この歌は、そのころ府中の童謡として流行っていたものだという。

        ※

 同年同月の十九日、今川義元は尾張桶狭間で討たれた。今川家は一挙に衰退し、八年後の永禄十一年に滅亡した。
あやしい古典文学 No.1312