柳川亭『享和雑記』巻一「蛇を解す薬の事」より

腹で暴れる丈夫な蛇

 赤坂三河台に住む西丸御先手の森山源五郎の屋敷には、長いあいだ中間として召し使う六十歳ばかりの爺がいた。
 爺は蛇捕りの名人で、捕った蛇の扱いも自由自在、蛇はいかに弄ばれても身動きひとつできない。
 さらに、爺は蛇を食うことも好きで、もう何年来、鱧の蒲焼のごとく料理して食べていた。

 享和元年の四月二日、爺は石垣の間から三十センチあまりの蛇を捕った。赤と黒の節目模様があって、顎の下側が黄色い。黄頷蛇というもので、米蔵に棲みついて米を食べ続けた場合、五メートル、十メートルの長大な蛇に育つこともある。
 爺は、掌の上で蛇にとぐろを巻かせて、
「では、蒲焼にしようかな」
と言いつつ、嬉しさのあまり口を大きく開けて笑った。
 そのとき蛇が少し頭を延ばすように見えたが、次の瞬間、爺の口に飛び入って、無二無三に腹中へと潜り込んだ。思いもよらぬことで、さすがの爺も仰天し、なすすべがなかった。
 蛇は腹中を縦横無尽に動き回り、腹具合の悪いことといったらなかった。すぐに医者へ行って薬をもらい、浴びるほど飲んだが、たいそう丈夫な蛇とみえて、少しも効いた様子がない。
 何であれ熱いものを飲食すると、蛇はその熱に耐えかねて、たちまち喉の方へ上がってくるから、息が詰まって苦しくてたまらない。だから、冷えたものばかり口にした。
 爺はもともと頑健な者で、寝込むというほどではなく、あちこちの医者へ行っては、薬をもらって飲んだ。しかし、やはりいっこうに効き目が現れない。昔から蛇はナメクジが苦手というからと、毎日数知れぬほどナメクジを飲んだが、それで蛇が弱ったという気配は少しもなかった。

 そうこうしながら同月十二三日に至ると、剛強の爺といえども大いに気力が衰えた。憔悴して倒れ込み、『もうどうにもならない。これまでの命だ』と覚悟を決めたときに、ある人がこう教えた。
「ころ柿でも串柿でもよい。柿を煮て、煮崩し汁とともにたくさん飲むのがよい」
 そこで、ただちに方々から串柿をさがし求めて、大鍋でよく煎じ溶かし、三升ばかりも飲んだ。
 翌日、ひどい腹痛が続くこと数時間、吐瀉数十度に及んだ。その後、二三日は疲れ果てて床に臥していたが、ほどなく全快した。
「これほど即効があるとは、自分も思わなかった」
と、教えた人も驚いたそうだ。
あやしい古典文学 No.1315