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荻生徂徠『飛騨の山』より |
業平天神・神田明神 |
江戸の隅田川辺にある業平天神は、在原業平を祀った社といわれるが、ほんとはそうではない。 相撲取りに「なりひら」というあだ名の者がいて、なぜか死んで祟ったので、なだめるために神に祀ったのを、世人が誤って言い伝えたものだ。 神田明神の由緒は、平将門の首と深くかかわる。 将門は藤原秀郷に首を取られたが、首のない骸(むくろ)が相馬から武蔵まで追いかけてきて、この地でばったり倒れた。それを祀ったのだといわれる。 じっさいには、将門は自分に似た者六人に、自分と同じ装束をさせて傍らに置いたというから、その六人の討たれた跡なのだろう。 |
あやしい古典文学 No.1317 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |