森春樹『蓬生談』巻之八「人魂いろいろの事」より

人魂さまざま

 人魂にもいろいろある。

 今年の夏五月二十八日、川原町で筑前福岡の者が死んだが、前々夜には、その者が泊まっている宿の二階から人魂(ひとだま)が出て、町外れのほうへ行くのを、たまたま小便をしに戸外へ出た十五郎という者が、詳細に見た。
 はじめは蝋燭の火のように見えた。だんだん近くへ来るにつれ、提灯ほどの大きさの火になり、火が通る道々の家の戸などがよく見えた。人が持つ提灯の火よりずっと明るかった。
 十五郎は、よく見届けようと思って、火の見櫓の下へ身をひそめた。
 火はやがて目の前まで来て、十五郎に気づいてはっとしたかのように、それまで地上二三尺を浮遊して来たのが四五尺上に上がり、さらに向こうの軒下を伝って遠ざかると、また道の真ん中を二三尺の高さで進んだ。軒下を行く間は明かりも薄くて暗い提灯のようになり、通りの出ると、元のように明るくなったという。
 この話を聞いて、ある人が言った。
「人魂は、自分が葬られる場所に、先んじて行くものだ。十五郎が見た人魂の主は、ほどなく死んで竹田川原の大榎の下に埋められたから、そこへ行ったのにちがいない」と。

 そういえば、筆者にも思い当たることがある。
 先年の秋の末、筑後古川の隣村で諸願成就の歌舞伎が催されたとき、見物衆の中から人魂が二つ出て、連なって飛び去った。芝居が終わって、川向こうの筑前の地へ帰る人も多かったが、古川から杷木への渡し船が転覆して、大勢が水中に落ち、二人が溺死した。しかるに、この事故の前、杷木の人々は、筑後のほうから人魂が二つ飛んできて、水中に沈んだのを見たという。
 また、相撲取り綾羽伊兵衛の話によれば、東海道の池鯉鮒宿で相撲興行があったとき、夜、有馬のなんとかという関取の人魂が出て川中に落ちた。翌夜、関取は網打ちに行って川に落ち、溺れ死んだ。伊兵衛もその相撲興行に出ていたのだそうだ。
 これら二つとも、死ぬ人の人魂が、先立って死に場所へ行った話である。
 しかし、溺死する人は珍しくないのに、そのたびに人魂が見えるわけではない。人魂は出ているが、たまたまそれを目にする者がいないのかもしれない。
あやしい古典文学 No.1325