林羅山『狐媚鈔』「王賈」より

伯母の霊

 王賈は中国の太原の人で、のちに覃懐というところに移り住んだ。年少のころから聡明で、十七歳にして都の長安へ上り、科挙に及第した。

 官位を得て帰郷するとき、洛陽に立ち寄った。
 洛陽には母方の伯母の家があった。伯母はすでに死んで久しいのだが、その霊が常に寝室の帳(とばり)の中にいて、生きているときと同じく一家のことを指図した。
 霊の命令に背いてはならなかった。たとえば、衣服や食物を求めて心にかなわなければ、ただちに叱って打ち叩くのだ。家人は皆、あまりの横暴を怪しみ恐れるばかりだった。
 王賈はそのことを聞き及び、『それは化け物の仕業にちがいない』と思って、伯母の家へ赴いた。
 しかし、現れた家人は、
「霊がきのう、『甥の王賈が明日来るが、あれは罪ある者だから、門内に入れてはならない』と言いましたから」
と、追い返そうとした。
 そこで、顔を見知っている年老いた者を呼んでもらい、
「伯母の霊というのは、きっと化け物だ。正体を暴くから、私を中に入れてくれ」
と説得した。
 それで、家人もみな『そうかも知れない』と思って、王賈を家に迎え入れた。

 王賈は、ひそかに皆と相談したうえで、寝室の帳に近寄り、声をかけた。
「伯母上の死去を聞き、弔いに参りました。不思議のことがあるとも耳にしています。それにしても、なにゆえ私をお嫌いになりますか」
 答える声はなかった。王賈は重ねて言った。
「どうしてお答えになりませんか。黙ったままでおられるなら、いつまでも帰りませんよ」
 すると帳の中から、
「おお、わが甥よ。よく来てくれた。いまや生死を隔つとはいえ、忘れたことはない」
と言って泣く声があった。その声は、伯母の存生の時と変わらなかった。
 伯母の子たちはみな、驚いて泣き悲しみながら、食膳を霊に供え、王賈を相伴させた。
 王賈は、酒を数献口にした後、霊に迫った。
「伯母上は、すでに神となられたとみえる。それなら、私と直接に対面してくださってもいいのではありませんか」
「生と死とは道が異なるから、対面できないのだ」
「そこから出て対面していただくことがかなわないなら、せめて顔だけでも見せてください。それもかなわないなら、手なりとも足なりとも見せてください」
 そのとき、帳の中から左の手が出てきた。本物の伯母の手だった。伯母の子たちはみな、泣き叫んだ。
 王賈は進み出て、その手を掴んだ。きつく掴んで離さないので、霊は驚いて叫んだ。
「甥よ、無礼だぞ。わが子ども、何をしている。なぜ我を救わぬのか」
 伯母の子たちがためらっているうちに、王賈は手を強く引いて、伯母を帳の外に引き倒した。喚き叫べども許さず、ついに叩き殺した。

 死んで正体を現し、老孤となった。全身が赤裸に禿げて、毛は一筋もなかった。
 狐の死骸を火にかけて焼いて灰となし、その後、家内に祟りはなかった。
あやしい古典文学 No.1335