『事々録』巻一より

奇事頻発

 天保五年七月は奇事の噂が多く、一つ一つの虚実を確かめるいとまもないほどだった。

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 側用人水野美濃守に先年暇を出された侍が、かつての朋輩である某に恨みを抱き、夜中に屋敷に忍び込んで、某ほか二名を惨殺。さらに一名を斬ろうとして、かえって足絡めで引き倒され、捕縛された。
 七月中旬の出来事である。
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 六番町の火見櫓に、女の死骸が投げ込まれたとの噂が立った。
 火車と呼ばれる怪獣が、葬式の死体を掴んで持ち去ろうとしたが、空中で取り落としたなどと言われる。
 実際は女の小袖を投げ込んだだけで、さる悪戯者の仕業だなどとも言われる。そんなところかもしれない。
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 牛込山伏町の屋敷で、うたた寝している侍を、中間(ちゅうげん)が鍬で襲い、胸を打ち据えて殺害した。
 婚礼の祝儀として貰った銭の、上前をはねられた恨みからだという。
 また、御書院番組頭の堀田彦三郎の下僕も、ちょっとした口論がもとで朋輩を斬り殺したそうだ。
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 牛込の下賤な商人が、妻に密夫があるのを知って、『斬ったり叩いたりでは、ありふれている。世にも珍しい成敗をしよう』と思った。
 友人四五人を手助けに呼んで、二人が密会している部屋に不意に踏み込んだ。そして、二人を捕らえて赤裸にし、交合の格好をさせて縄で縛って、四谷の津のかみ原というところに捨てた。
 妻の親がそれを聞いて、ひそかに連れ帰ったという。
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 巣鴨に住む貧乏御家人が、自分の妻と盲人の男が密通しているのを知って、妻を離縁したが、手元に今年生まれた幼子が残され、養いかねて日夜苦労がたえなかった。
 いっぽう、近くの谷中町長明寺門前では、元の妻と盲人が夫婦になり、誰はばかることなく平然と暮らしていた。
 生活苦にあえぐ御家人は憤りが抑えられず、七月十三日夜に忍び行き、偽言によって元妻を呼び出すと、やにわに手足を斬り落とした。その物音に驚いて出ていった盲人も斬り殺された。
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 駒込で煮売店を営む、万屋金兵衛という者がいる。
 金兵衛の弟は、三四年前、谷中七面坂で団子などを売る三河屋へ婿養子に行き、妻との間に子もなしたが、どういう不都合が出来たのか不和となり、最近兄の万屋へ帰っていた。
 七月十二日の真夜中、金兵衛の弟は三河屋に忍び込み、蚊帳越しに妻を刺殺し、子を抱きとって自殺した。二十六歳の血気の怒りから、我が命を滅ぼしたのだった。
あやしい古典文学 No.1343