『事々録』巻二より

酒を乞う人

 弘化四年の春、尾張犬山の酒屋に、深夜、ただならぬ人相の人が来て、酒を飲ませてくれるよう頼んだ。
 酒屋の主人は、逆らうと危ない相手だと悟って、こころよく酒を出した。
 異相の人は、大きな枡でがぶがぶと呑んで、数石の酒を呑み干し、こう言った。
「よくぞ沢山の酒をふるまってくれた。礼をしたい。何なりと望みを申すがよい」
 酒屋が、
「これといった望みはありません。ただ、少し前に妻を亡くし、独り暮らしなのを憂えています」
と答えると、わかったと頷いて去った。
 その後、また深夜に来て、懐から小さな女を取り出して渡した。
「これが約束の、汝の妻だ」
 その人は、またどこへともなく去っていった。

 小さい女は、酒屋の目の前でぐんぐん大きくなり、普通の背丈になった。
 しかし何だかひどく疲れた様子なので、とりあえず寝かしてやったが、翌朝になって起きだしても、まだ呆然としていた。
 いろいろ詳しく尋ねると、
「わたしは、江戸新川の酒屋何某の娘です」
と名乗った。
 そこで江戸の住所に問い合わせたところ、娘は月初めに行方不明になったという。
「これは、鼻の高い人の仕業にちがいない。天狗が連れていって妻として与えたということは、『縁を結べ』との神の沙汰であろうから、拒むのはよくない」
 酒屋と女は、ついに夫婦になった。
あやしい古典文学 No.1344