朝日重章『鸚鵡籠中記』元禄四年十月より

村尾伝右衛門の縊死

 村尾五郎左衛門の嫡子 伝右衛門は、津田新十郎の娘と縁組がととのい、やがて婚礼という運びになった。
 それで、家に置いていた妾に暇を遣わした。しかし、妾は頑として出ていかなかった。
 伝右衛門は妾を蔵へ連れてゆき、米俵の上に登ってわが首に細引きをかけ、
「おまえが出ていってくれなければ、もうここで死ぬしかない」
と、首吊りの真似をしたが、そのとき足が滑って俵が転がり、伝右衛門は縊死した。

 この十月ごろのことで、外向けには、食当たりで死んだことにしたらしい。
あやしい古典文学 No.1345