『続蓬窓夜話』上「釣客怪死」より

釣人怪死

 紀州に鈴木周徳という者がいた。和歌山城の奥坊主で、暮らし向きもよく、まずは穏当に世を渡っていた。
 周徳は魚釣りが好きで、公用のひまに雑賀崎・田ノ浦などの磯へ行き、一日じゅう岩の上を徘徊して、釣りを楽しんだ。

 享保十年の暮れのある日、外出して帰ってきた周徳を見て、家人は驚いた。着ている衣類の肩から裾に至るまで、全身が水でぐしょ濡れだった。
「誤って川か海へ落ちたのですか」
などと問うたが、本人もどこでどうして濡れたのか知らないようだった。みな大いに怪しみ、不思議なことだと言い合った。
 そうこうするうち、周徳はふとまた出かけて、どこへ行ったのか、そのまま家へ帰らなかった。
 一族の者が大騒ぎして、足にまかせて方々を尋ね歩き、心当たりをくまなく捜しまわったが、行方はまるで知れなかった。
 捜しあぐねた末、『なにしろ釣りが好きな人だから、あの姿で田ノ浦・雑賀崎あたりまで行き、磯波に打たれて、今度こそ海底の水屑となったのではないか』と、田ノ浦へ行ってここかしこと捜し求めたところ、磯辺より一段高い岩山のようなところで、喉笛を掻き切って死んでいた。
 死人の有様をよく見ると、喉は掻き切ってあるが、脇差は鞘に納めてある。そのほかの刃物はない。念のため脇差を抜いてみたら、刃に少し血が付着していた。
「自分で喉を切って、また鞘に収めた後に死んだのか」
「いや、そんなことができるとは…」
などなど、さまざまに意見が交わされるも、結論は出なかった。

 この田ノ浦の磯には、昔から怪しい場所があって、事情を知る地元民が釣りに行くことは決してない。しかしそこは魚が多く集まる磯だから、よそ者は『土地の者には怪しいことがあっても、外から来る我らには障りがなかろう』と思って、あえて釣りすることもあるらしい。
 人々は、『周徳もことさら場所を避けず、何年も釣りを楽しんだ。ゆえに海神・山鬼が祟りをなし、岩山に呼び寄せて乱心せしめ、不可解な自滅を遂げさせたのではないか』と語り合ったのだった。
あやしい古典文学 No.1360