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『南路志』巻三十六より |
むくげの宮 |
土佐国幡多郡の志和城主 志和和泉守の娘は容色比類のない美人で、西原藤兵衛重助が娶って、仲睦まじく暮らしていた。 ところがあるとき、藤兵衛に妻は、 「我が身に怪しいことがあります。暇をくださいませ」 と、目に涙を浮かべて懇願した。 驚いて、 「そのようなことをにわかに言われても、納得できるものではない。どこぞに好きな男でもできたのか」 と質すと、妻は声をあげて泣いた。 「じつは、恥ずかしいことながら、夜ごと我が寝間へ通い来る者があるのです。夢ともうつつともなく忍び入り、その者が帰れば夢から覚めたようになって、ただ生臭い移り香ばかりが…。いかなる化生の仕業でしょうか。あまりに情けなく悲しくて、暇乞いを願ったのでございます」 聞いた藤兵衛は、不思議なことがあるものだと思いながら、妻を守るべく祈祷などさまざまに手立てした。 大永七年三月二十二日の昼過ぎのことだった。 妻は藤兵衛に向かい、世の中の儚いことなどをしみじみ語っていたが、ふと立ってふらふらと縁の方へ行き、庭の木の梢を平地を行くがごとく歩いて、塀の上に立った。 あわてて走り寄った藤兵衛が引き留めようとするも、サヨウナラ…と小さく言って塀から跳んで、下を流れる川の淵へと落ちていった。落ちながら長大な蛇体に変身して、淵の底へと沈んでしまった。 その後の藤兵衛は、妻のあさましい姿を見たにもかかわらず、やはり面影を忘れかね、ただ茫然として嘆き暮らした。 藤兵衛の妻の父 和泉守の下僕に、次郎助という者がいた。 次郎助は、あるとき草刈りに出て、川上で鎌を落とした。それを捜し回るうち、いつしか見知らぬ広野を迷い歩いていた。 足にまかせて行くうちに、大きな築地の屋敷の前に来た。門をはじめ、家屋の造作は結構この上ない。 門内に人がいないので、なんとなく奧へ入っていくと、一人の女が機を織っていて、 「そこにいるのは次郎助か」 と声をかけた。 見れば藤兵衛の妻だったから、次郎助は驚いた。 「なにゆえ、こんなところにいらっしゃいますか。姫様が失せられてからというもの、御両親はことのほかお嘆きで、御母上はついに嘆き死になさいましたよ。さあ、お供しますから帰りましょう」 しかし、女は涙を流しながら、 「こんな身の上になってからというもの、両親の嘆きを思って悲しみに暮れるばかりだが、前世の宿業ゆえ、どうしようもない。せめて、この有様ながら命永らえて、子にも恵まれていることを知らせたい。 ここの殿は飴牛殿という。この北の飴牛ヶ淵の主で、今日はそちらへ眷属引き連れて遊びに行かれたから、その隙に、おまえにここを見せようと、鎌を隠して招き寄せた。鎌はあの梯子に掛けてあるから取って帰り、父上に我が有様を申し上げよ。けっして他の者に語ってはならぬ」 と言うのだった。 「御子たちは、どこにいらっしゃいますか」 「そこで昼寝をしている」 見れば、小蛇が数知れず蹲って伏していた。身の毛もよだつさまだったが、次郎助は平気をよそおいつつ促した。 「姫様、ここの殿の御留守のあいだに、古郷へお帰りなさいませ。お供いたしますから」 女はただ涙にむせんだ。 「そうしたいと思うけれど、再び人界へ帰ることはできない。おまえは殿の戻らぬうちに、急ぎ帰れ。さあ…」 気がつくと次郎助は、川端に立っていた。振り返っても来た道はなく、先ほどまでいた屋敷は影もなかった。 次郎助の話を伝え聞いて、夫の藤兵衛は『さては妻は蛇道に落ちたか。むごいことだ。せめてその苦しみを助けたい』と、祠を建て、「木槿(むくげ)の宮」と名づけた。 父親の和泉守も悲しみに堪えず、志和の里にある天神の宮に社壇を並べて、「北野天神・今天神」として祀った。 その後、蛇道を免れたとの託宣を、人々は聞いたとのことだ。 |
あやしい古典文学 No.1364 |
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