平尾魯遷『谷の響』四之巻「骨髪膿水に交る」より

髪と骨と歯

 文政のころ、岩木川の渡し守の妻が、腰に「癰疽(ようそ)」という腫物ができてたいそう苦しんだ。二十日ばかりで腫物が破れると、膿水に混じって髪の毛と骨の砕けたようなものが数日のあいだ出続けた。その後は次第に痛みも消えて治癒した。
 伊香某は、これを評して、
「女性の体に時々あることで、橘南渓が『東西遊記』に『婦人胎中の子死して、堕胎せず、腐乱して腫物となり、骨髪と共に出る』と載せた病気だ」
と言った。そのとおりであろう。

 筆者の近所の熊谷又五郎という人は、梅毒で久しく患った。発病から二年ほど過ぎたころ、股に瘡ができて、その破れ目から砕けた病骨のようなものが多く出た。股は、膝のように二つに折れた形になってしまった。
「梅毒が骨に棲みついたのだ。世間にままあるもので、みな難治の病だ」
と、御番医の佐々木氏が言われたが、はたしてこの人は癒えず、ついに病死した。弘化年間のことである。

 また、文政年間に筆者の家で召し使った三介という者は、ある夜、亀甲町で向う脛を犬に咬まれた。痛みがひどくて勤めがならず、実家に帰って療治したけれども、いよいよ痛んで死にそうになった。
 しかしある時、十日ばかり疵に張っていた膏薬に、骨の砕けたようなものが三枚くっ付いて取れた。それはみな犬の歯だった。それから徐々に癒えて、元どおりに回復したそうだ。
 療治に当たった医師は、亀甲町の吉村某氏である。
あやしい古典文学 No.1391