浅井了意『新語園』巻之六「山魈蟹ヲ嗜ム」より

手一本足一本のもの

 中国南宋の元嘉年間の初め、富陽の地に王于窮(おううきゅう)という者がいた。

 あるとき于窮は、川を流れ下る蟹を獲ろうと、簗(やな)という仕掛けを設けた。
 夜に仕掛けて、朝行ってみると、長さ二尺ばかりの木の切り株が簗に入って、簗は壊れ、かかったはずの蟹は、すべて逃げてしまっていた。
 そこで簗を補修し、切り株を岸の上に引き揚げて帰った。
 翌朝また行ってみると、前日と同じ切り株が簗に入って壊していた。またまた補修して、翌朝見るに、前二度と同じであった。
 于窮は『こいつは妖異のものにちがいない。持って帰り、叩き割って焼いてしまおう』と思い、切り株を掴んで蟹を入れる籠に入れて、家に向かった。
 家が近くなったとき、籠の中のものがゴトゴト動いて、ささやくような声が聞こえた。
 中を覗くと、かの切り株が、異様な生き物に変じていた。顔は人で、体は猿だった。手が一本、足も一本だった。
 異物は于窮に語りかけた。
「俺は蟹が好きなんだ。蟹を獲ろうとして水中に入り、うっかり簗を壊してしまったことは謝る。どうか俺を、ここから出してくれ。籠を開けて逃がしてくれたら、その礼として、蟹がいっぱい獲れるようにしてやるよ。俺はこう見えても、山の神なんだ」
 于窮は冷たく言い返した。
「山の神だか何だか知らないが、簗を壊したのは一度ではない。罪は重いぞ。死ぬがよい」
「待ってくれ。そこをなんとか…」
 異物は懸命に許しを乞うたが、于窮が聞かないとみるや、
「なあ、おまえ、名は何という。俺に教えてくれ」
などと尋ねた。相手にせずに黙っていると、
「ああ、もう打つ手がない。死ぬしかないようだ」
と嘆息した。
 于窮は家に帰りつき、炭火をおこして異物を焼いた。そいつはおとなしく燃えて、何の異変も起こらなかった。

 土地の者は、この異物を「山魈(さんしょう)」と呼ぶ。
 人の姓名を知れば、その人に祟って災いをなす。また、よく蟹を食うという。
あやしい古典文学 No.1398