中川延良『楽郊紀聞』巻五より

病日

 脇田藤平は、若年のとき、久根村の宿に滞在したことがあった。
 ある朝、講の寄合の日だったことをふと思い出し、
「急な用ができた。厳原の城下まで行くから、握り飯を用意してくれ」
と頼むと、宿の主人は、
「あいにく今日は、このあたりで『病日』という縁起の悪い日ですから、城下へ行く者など誰もおりません。明日になさいませ」
と止めた。
 藤平は耳を貸さなかった。
「なんとしても行く。同道する者がいないなら、道を教えてくれ」
「おやめになったほうがいいと存じますが、たってと仰るなら…。これこれの道を行きますと、二股に分かれたところに出ます。片方の道は幅も広くて本道のように見えますが、少し行けば消えてしまう山道です。幅が狭くて草に埋もれかけたもう一方の道こそ、城下に通ずる道です。多くの人が迷うところですから、ご用心ください」

 藤平が教えられた道を進むと、はたして二筋に分かれたところに至った。
 『はて、左だったか右だったか…』と考え込んだとき、向こうから一人の老爺がやって来た。これ幸いと道を尋ねると、指でさして教えてくれた。
 何の疑念もなくその道を行ったら、たちまち山中に入って道がなくなった。
 『やっ、これは主人が言っていた山道のほうだ。あの爺ぃ、だましたな。憎いやつめ』と歯噛みして引き返そうとすると、今来た道もなくなっていた。あたりを四方八方歩き回ったが、道は見つからなかった。
 あちらこちらを無駄に徘徊して疲れ、腹も減ったので、握り飯を食おうとしたら、どこかに落としたらしくて、ない。どうにもしようがないので、そこらの石に腰を掛け、火を打って煙草を吸った。
 いつのまにか日は落ちて、向こうの空に月が冴えわたり、前方の茅の茂みの傍らから、今結ったばかりの大島田髷(おおしまだわげ)の女の後頭部がぬっと出た。髪の油が月に照らされ、ぴかぴか光った。
 ここにおいて藤平は、なぜか気が落ち着き、肩の力が抜けて、『とてもじゃないが、かなう相手ではなさそうだ。あちらの方に微かに見える火は、人家だろう。あそこまでなんとかして行こう』と立ち上がった。
 かろうじて見える火を頼りに、樹木を伝い、岩石を上り下りして、やっと里に出た。火が障子に映った家に辿り着き、やみくもに障子を開けたら、出発した宿の裏口だった。
 その物音に宿じゅう大いに驚いたが、藤平と分かって、湯など呑ませ、いろいろ介抱してくれた。
 何時かを問うに、夜半に近いとのこと。起こった怪事のあらましを語ると、主人は、
「言わぬことではありません。病日だからと、お止めいたしましたのに…」
と、ため息をついた。

 翌日、藤平は村の者と同道して、あらためて城下へ向かった。
あやしい古典文学 No.1419