『新御伽婢子』巻一「化女の髻」より

大顔女の黒髪

 武州浅草の辺りに、甲良某という人がいた。
 ある年、江戸の民家が多く消失する大火があって、甲良の家も全焼したので、その跡に仮屋をしつらえ、しばらくの住居とした。

 甲良の家来に、太田三郎右衛門という者があった。幼少のころから文学を好み、詩文に親しんで眠りを忘れるほどだった。
 雪の降るある夜、三郎右衛門は、仮屋の座敷で書見台に向かって、杜甫の七言律詩に没入していた。
 時は深更に及び、冬の月影が冷やびやと障子に映るのを何気なく見やると、そこに怪しい女の姿があった。
 鉄漿(はぐろ)を黒くつけた薄蒼い顔色の女だったが、とにかくその顔がとてつもなく大きい。およそ車輪ほどもあった。それが三郎右衛門に向かって、にこにこ笑って立っていた。
 並の心の者なら即座に気絶するところながら、三郎右衛門はもとより文武兼備の侍ゆえ、少しも逡巡することなく刀を抜いて斬りつけた。手応えがあって女は消え、同時に太刀風で灯火も消えて真っ暗になった。
 下人に火を持ってくるように命じるも、熟睡していて起きない。何度も大声で呼んだら、やっと灯火を持ってきた。
 下人に出来事のあらましを聞かせ、二人で血の跡をたどった。やがて、たいそう美しく結った女の黒髪が一房、したたった血の中に落ちているのを見つけたが、結局行方は分からず、どのような妖怪変化だったかは謎のままだ。
 かの黒髪は、年月を経ても変色することなく、消え失せることもなく、まさしく人間の髪だったそうだ。

 昔、三崎某という武家女が、独りわびしく暮らしていたが、そのうち屋敷の軒は傾き、門は雑草に覆われて、廃屋の中で誰にも知られず命を終わった。その後、世にも人にも捨てられた女の恨みか、雨の夜、嵐の晩には、怪しい女の形が現われると、古老が語った。
 太田三郎右衛門が斬ったのも、その類の妖怪であろうか。
あやしい古典文学 No.1420