林羅山『怪談全書』巻之三「張遵言」より

蘇四郎

 中国、南陽の張遵言(ちょうじゅんげん)という人が、商山へ旅して、宿屋に泊まった夜のこと。
 暗い場所の柱の下に、なにか白いものがいるようなので、召使を見に行かせると、猫ほどの大きさの白犬であった。毛色はつやつやと輝き、爪も牙も白くて真珠のようだった。
 遵言はこの白犬を愛して、飛ぶがごとく敏捷に走るさまから「捷飛(せいひ)」と名づけ、常に身近に置いた。
 捷飛の世話は、当初は下僕の張志誠という者に命じていた。志誠の袖の中に入れて懐かせ、捷飛の好む食物で養わせて一年余、その世話に怠りがあるように見えたので、遵言みずからが世話することにした。
 それからは、出かけるときには我が袖に入れてゆき、飲食にもいちだんと心を配って、昼夜離れることがなかった。

 四年が過ぎた。
 遵言は、梁山へ向かう道の途中で日が暮れ、そのうえ急な風雨に見舞われて、供の者たちとともに大木の下に雨宿りした。
 ふと気づくと、捷飛がいない。驚きあわてて、下僕の志誠に捜させたが、見つからない。供の者が手分けして四方を捜しても、どこにもいない。
 そのとき突然、白い衣服を着た、身の丈八尺余りの人が現れた。背丈こそ異様に高いが、まことに美麗な男子で、暗がりの中でも月中に立つかのように明瞭に見えた。
「いったいどなたですか」
と遵言が問うと、その人は、
「私の名は、蘇四郎という。捷飛のまことの姿が、この私だ。じつは、君は今、災難に遭って死のうとしている。そこで、四年のあいだ厄介になった恩返しに、君を救いに来た。そのためには十余人の犠牲が出るが、まあ仕方がない」
と語って、遵言の馬にまたがると、先に立って進んだ。遵言は徒歩で、その後ろに従った。

 十里ばかり行くと、一つの墓所に至った。
 そこには、背たけ一丈あまりの巨人が四人、白衣を着て冠を被り、弓と剣を持って待ち構えており、蘇四郎を見るや地べたに平伏した。
「おまえたちは、何をしに来たのか」
と四郎が尋ねると、
「大王の御命令により、張遵言を捕らえるのです」
と言って、遵言の姿を見つけるや、睨みつけた。遵言は、恐ろしさのあまり失神しそうになった。
 四郎は、四人に言い渡した。
「狼藉は許さぬ。遵言は私と同道するから、おまえたちはただちに去れ」
 四人は声をあげて泣いたが、四郎はかまわずに遵言を促して進んだ。

 また十里ばかり行くと、赤銅の頭に鉄の額をした夜叉が六七人、武装して待ち構えていた。猛々しく躍り上がり、荒々しく威嚇して、恐ろしいことこの上ない。
 しかし夜叉も、四郎を見ると恐れおののき、平伏した。
「おまえたちは、何故ここにいるのか」
 四郎が叱すると、
「大王の御命令で、張遵言を捕らえます」
と言って、遵言を睨んだ。
「遵言は私の旧友だ。捕らえることはならぬ」
 四郎に拒まれて、夜叉は一斉に泣きだした。地面を這い転げ、涙に咽びながら言うことには、
「先の白衣の四人は、遵言を捕らえてこなかったために、鉄杖で五百叩きの罰を受け、もはや生死も定かでありません。我らもまた、今ここで遵言を捕らえなければ、みな罪に問われて殺されます。お願いですから、遵言を引き渡してください」
 四郎は耳を貸さず、怒りをあらわして叱り飛ばした。夜叉は後ずさりし、卒倒しかけながら、なおも請うた。
「どうか、どうか、その男の身柄を、我らに…」
「うるさい。小鬼め。遵言に手を出したら命はないぞ」
 夜叉がついに泣き叫びながら去ると、四郎は、
「遵言よ、これでもう大丈夫だ」
と言った。

 また七八里ほど行くと、兵杖を持った者が五十人ばかり現れて、四郎に向かって拝礼した。
「何故に来たのか」
 四郎に問われて、先の夜叉と同じように答え、さらに付け加えた。
「かの夜叉すなわち牛叔郎という者ほか七名は、遵言を捕らえなかった罪により、刑に処せられました。我らもそうなるかと思うと、恐ろしくてなりません。四郎さま、どうか我らを、処罰からお救いください」
「私についてきたら、助かるだろうよ」
 四郎はそう言って、また進んだ。
 ほどなく大黒門に至った。さらに行くこと数里にして、一つの城の前に着いた。
 使者が馬に乗って城から出てきて、王の意向をそのまま伝えた。
「四郎どの、遠方よりよく来られた。今、法の執行で多忙のため、出迎えできないが、ひとまず南館に入って憩いたまえ。やがて対面の迎えを遣わすであろう」

 館に入って休んでいると、はたして王の使者が来た。
「張遵言も呼ぶように、とのことです」
と言うので、使者に従って行くことしばし、宮殿のさまはまことに帝王の居にふさわしい豪華さだった。
 そこへ衣冠をととのえた王が現れ、四郎を迎え拝した。四郎もまた答拝した。二人の交わす言葉はいかにも気安く、打ち解けたものだった。
 それから王は先に立って進み、軽くお辞儀をして階上にのぼった。四郎も続いてのぼって少しお辞儀をし、遵言を振り返って、
「私と同じようにすればよい」
と教えた。
 王はさらに四郎らを連れて、奥の宮殿、そのまた奥の宮殿へと進んでいった。宮殿内はそれぞれにきらびやかに飾られ、種々の珍物を置き並べてあった。
 四番目の宮殿では、饗宴の支度をしていた。器物はみな世間で見かけるようなものではなかった。配膳が終わると、王とともに明楼に登った。その四方の柱は、珠玉でもって飾られていた。
 酒を勧めながら王が言うことには、
「いささか酒席を賑やかにしたいと思うが…」
 四郎は応えて、
「よろしいでしょう」
 さっそく七八人の女の楽人が呼ばれ、ほかに酒席に侍る者十人ばかりがやって来た。みな雅やかな容姿であった。王も四郎も衣服をくつろげ、若者のごとく快活に語り合った。
 そうした中、四郎が一人の美女に戯れかかったところ、女は、
「わたしは劉根という仙人の妻で、わけあってここに来ている者です。あなたに気安く戯れ事をされるいわれはありません」
と怒った。
 拒まれて四郎もまた怒気をあらわし、盃を振り上げて盤を一撃すると、柱の玉ことごとく落ち、あたりは暗転して何も見えなくなった。

 遵言は、しばらくうとうと眠ったようだった。
 目覚めてみれば、雨宿りした大木の下で、四郎も馬もそこにいた。
「遵言、君の災難はもはや去ったよ。では、これでお別れだ」
 去ろうとする四郎に、
「貴殿の力添えで、大切な命を救われました。その恩義の深さを思うにつけても、四郎どのはそもそもいかなる方か、せめて教えていただけないか」
と尋ねたが、四郎は、
「それは自分の口からは言えない。商州竜興寺の縫衲老僧に問え」
と言うや、飛んで空に昇って去った。

 夜が明けると遵言は、急ぎ竜興寺に向かった。
 寺の東の廊に、衲(つづれ)を縫う老僧がいた。礼拝して四郎のことを問うたが、答えを拒んで語らない。それでも心を込めて幾度も尋ねたところ、夜更けになってやっと口を開いた。
「その質問は容易に答えられるものではないが、要するに、蘇四郎は大星の精だ。大王は仙府の裁判官だ」
 さらに詳細を尋ねるも、老僧は、
「おぬしは災難を免れた。それでいいではないか。早く帰れ」
と言って、答えなかった。
 遵言は翌朝、再び寺を訪れたが、すでに老僧の姿はなく、行方も知れなかった。
あやしい古典文学 No.1432