百井塘雨『笈埃随筆』巻之八「宇治瀬田蛍」より

蛍の大河

 瀬田は広大な琵琶湖の水の落ち口で、そこに発する瀬田川は、最初から大河である。
 瀬田の唐橋には「五間の間」といって、橋脚がないところがある。ここの水は、どんな長雨の時でも決して濁らず、清冷を保っている。

 蛍は国々に多く生じるものなのに、宇治・瀬田の蛍をとりわけ称賛するのは、観賞するに足る風趣があるからだ。
 ここら辺りの蛍見というのは、日暮れ前に舟を出し、名高い蛍谷から石山寺を下り、黒津の里に行って、大白山という湖中に突き出た小さな山の下に舟を寄せる。
 まさに日が暮れようかというころ、湖辺の草の葉末から、蛍が一斉に飛び立って散乱するさまは、まったく類のない壮観である。
 この虫が腐草から生ずることは、「七十二候」中の「芒種次候」に、「腐草為蛍」とあって、人に知られるところだ。しかし、芒種にあたる六月初中旬に出るのは光の薄い弱い蛍で、宇治・瀬田の蛍は夏至後の三日間が盛りとされる。
 また、その年に蛍が多いか少ないかは、川辺の木や草に春の末から付く、白泡もしくは綿のようなものから分かると、里人は言う。これは蛍の巣であり、その多少を見てあらかじめ知れるのだそうだ。

 ちなみに、ある人が語った。
「中山道を通って江戸から京都へ上る人が、木曽路で十籠の蛍を買った。毎夜その籠を釣って光を楽しもうと思ったのだが、真夏の暑さで弱って、蛍は半死状態になった。青草を入れ替え、水を注ぎなどしながら鵜沼宿に着いた。泊まった宿の前には、川の流れがあった。終夜、蛍籠を軒に釣っておいて、翌朝見ると、蛍はみな籠を破って飛び去っていた。蛍は、水音を聞くと勢いを増すものなのだ」と。
あやしい古典文学 No.1433