速水春暁 『怪談藻塩草』二之巻「明星の宿蛍の怪異の話」より

蛍の怪異

 江州北海津の船上村の百姓に、勘四郎という、生まれもって律儀な正直者がいた。
 寛政五年の夏の頃、勘四郎は、心願のことがあって、伊勢神宮に参ろうと思い立った。
 庄屋および隣家へいとまを告げていたとき、村の伊勢神楽講の面々が、百両ばかりの金子をことづけて、「よろしく太夫に届けてくれ」と頼んだ。
 勘四郎は引き受けて、金子の入った財布を首にかけ、ただ一人で郷里を旅立った。

 旅は伊勢街道にかかって、はや神宮の手前の明星辺りまできた。
 勘四郎は、しきりに腹痛がするので、しばらく休もうと、傍らの煮売り屋に立ち寄り、用意の薬を飲んだ。
 それから便所へ行こうと、店の裏手に回った。そのときふと『懐の金子は大神宮に奉納するものだから、首にかけて入るのは畏れ多い』と思い、そっと風呂敷包みに押し入れて、便所の外に置いた。
 これを煮売り屋の主人の甚八が障子の破れから見て、にわかに悪心を起こした。勘四郎が便所に入ったすきに、密かに風呂敷包みの金子を盗み、かわりに手ごろな石を財布に入れておいた。
 そうとは知らない勘四郎は、便所を出て、また財布を首にかけようとしたが、『このあたりには雲助が徘徊している。不用意に金子を出したら、悪いやつに目をつけられて奪われかねない』と案じられて、さりげなく財布を雨具の中に差し込んだ。
 荷物の重さは変わらないので不審も抱かず、店を出て二里ばかり行き、人気のない場所で、金子を首にかけようとした。
 ところが、なんだか財布の形がおかしい。中をあらためると、金ではなく石ころだった。
 勘四郎はびっくり仰天、狂気のごとく道を走って、甚八の店まで引き返した。
「あの金子を返してくれ。お願いだ」
と涙を流して頼んだが、甚八は素知らぬ顔で受け流し、身に覚えのないことだと言うばかり。
「いや、あんたが盗ったんだ。どうしても返してくれ」
 執拗に頼んで引き下がらない勘四郎に、甚八はとうとう怒ってみせた。
「おのれ、よくもわしを盗賊呼ばわりしたな。田舎者の言うことだからと堪忍し、先刻より筋を通して説明したにもかかわらず、いっこう耳を貸さずに無理無法を言いつのるのは、さては根も葉もない因縁をつけて、人の金をゆすり取ろうという騙り者だな。この名高い街道筋で、そんな浅はかな騙り事が通用すると思うか」
 罵りながら、手元にあった算盤を勘四郎目がけて叩きつけた。
 そこへちょうど通りかった雲助どもも、
「今後の見せしめに、痛めつけてやれ」
と、三四人が竹杖をふるって打ちすえ打ちすえ、さんざんに打擲した。
 勘四郎は、金を取られたうえに半死半生の目に遭わされながら、証拠がなくてはどうしようもなく、ただすごすごと立ち去るしかなかった。

 その足で神宮に詣で、
「どうか盗賊を懲らし、我が難儀を免れさせたまえ」
と、ひたすらに祈った。
 それから夜を日についで船上村へ帰り、預かった金を奪われた事情を語ったが、村人たちは大いに疑った。
「勘四郎にかぎってよもやとは思うが、出来心ということもある。金を盗んでおいて、盗賊に遭ったと偽りを言うのではないか」
 人の噂を耳にして、勘四郎は無念やるかたなかった。『盗人と疑われて生きて何の甲斐があろうか』と、少しばかりの田地・家屋敷を売り払い、その金で伊勢講の預かり金を償って、自らは回国巡礼の旅に出た。
 しかし、もとより路用に所持した金も僅かだったから、日を経るにしたがい尽きて、ついに乞食の身の上となり果てた。人の余物を貰って月日を過ごすうち、寒気に苦しみ、暑気に堪えかね、しだいに身は病み衰えていった。

 放浪の三年を経て、勘四郎の足は再び明星の地を踏んだ。
 かの甚八の家に行ってみると、今はどこかへ住み替えたらしい。近所で尋ねたところ、「ああ、甚八なら、三年前に結構な儲け事があったそうで、今は新しい家で小間物を商っているよ」
と、その家を教えてくれた。
 『さては、盗んだ金で店を出したか』と思って、その家まで行って内をのぞくと、台所に甚八がいた。
 勘四郎はつかつかと内に入り、はったと甚八を睨みつけた。
「おのれ、三年前にわが金を盗んだこと、よもや忘れはしまい」
 ただならぬ顔色に、図太い甚八もぞっと身の毛がよだって、思わず逃げようとあとずさりする。その袂をとらえ、大声で罵った。
「おまえに金を奪われ、しかたなく家屋敷・田地を売り払って償った。今、このように乞食となり果てたのも、すべておまえの悪行のせいだ。この恨み、晴らさずにおくものか」
 甚八も、このままでは近所の手前面目ないと、居直った。わざと憤慨した様子をつくり、
「きさまには先年、根も葉もない言いがかりをつけられて迷惑したが、飽き足らずにまた来おったか。さまざまな難癖をつけることこそ言語道断だ。乞食なら乞食らしく、おとなしく残り物でも乞うておればいいものを。そのような強請りたかり根性ゆえに、生まれた村を追われて乞食となり果てたのだ」
と罵り返し、あれこれ言い合ううち、村の番人が駆けつけた。
 番人は、乞食の勘四郎を散々に打ちすえ、村境まで引きずって追い放った。
 勘四郎はなおも罵りながら、隣村の国分寺の前まで辿り着いた。
 寺の門前で人に食を乞うて日を送ったが、病み衰えた体に打擲を加えられたのがこたえて、足腰も立たなくなり、ついにそこで命を終わった。
 寺の僧が憐れんで、ほど遠からぬ場所に葬ってやった。

 さて甚八だが、なにしろ身に覚えのあることだから、勘四郎の睨み顔が目の先にちらついて離れず、しだいに鬱症のようになって寝込んだ。
 その年の夏のころ、勘四郎の墓から大きな蛍が数千匹湧いて、甚八の家めがけて飛び、店の柱にびっしり取りついた。人々は大いに不思議がり、珍しいことだと見物人が押しかけた。
 蛍の飛来は毎晩続き、夜ごとに数が多くなった。屋内に続々と飛び入り、甚八が寝ている蚊帳の周囲を飛び回って、中に入ろう入ろうとする様子だった。
 甚八は、ものに襲われたように、
「ああ苦しい、苦しい…」
と声を限りに叫び、家内の者は蛍を追い払おうとするが、五六人の力ではとても及ばない。後には桶に汲んだ煮え湯を浴びせて殺したけれども、蛍はますます数を増して飛び入った。
 近所の者たちは、
「これはどうやら甚八が、神宮に奉納する金を盗んだ神罰らしい。あの蛍を殺すのは神宮に憚られる」
と言って、誰も手助けせず、手をこまねいて見ているだけだった。
 蛍の襲来すること二十日ばかりにして、ついに蚊帳が食い破られ、数千の蛍がいっせいに甚八に取りついた。
 甚八は、叫び、苦しみ、這いまわり、躍り上がって絶命した。
 そのとき、取りついていた蛍どもは、恨みが一気に晴れたのか、人の感泣のような声をあげ、いずこへともなく散り失せた。
 その後、蛍は二度と飛来しなかった。まったく人の恨みの為せる不思議な出来事であった。
あやしい古典文学 No.1434