平賀蕉斎『蕉斎筆記』巻之三より

五右衛門供養

 むかし、杉田何某殿の家来が、京都の町で使いに出た。その帰りがあまりに遅かったので、わけを問いただすと、こんな話をした。

「今日は、通りすがりの大仏餅の店で、思いがけず御馳走になってしまいました。
 なんでも、昔その餅屋の先祖のところへ石川五右衛門が来て、『御存知のとおり私は盗賊の親玉だ。もはや善心に立ち返りようもないまま、近々召し取られて刑罰に遭うのはまちがいない』と言って、金子百両と長刀一振りを差し出した。『これで私の跡を弔ってもらいたい』と、ねんごろに頼んで帰ったそうです。
 その後、実際に五右衛門の刑罰が行われたので、餅屋の主人がこのいきさつを届け出たところ、金子も刀もそのまま下げ渡された。そこで、約束どおり五右衛門の年忌ごとに法事供養し、たまたま店の前を通りかかった人に食事をふるまうようになったそうです」
あやしい古典文学 No.1435