『奇異怪談抄』下之上「聶隠娘」より

聶隠娘

 中国、唐の徳宗の貞元年間のこと。
 魏博節度使の将官・聶鋒には、聶隠娘(しょういんじょう)という娘があった。
 隠娘が十歳のとき、屋敷に乞食の尼が来て、隠娘を見て喜び、
「この子を貰い受けたい」
と請うた。
 聶鋒が怒って叱すると、尼が言うことには、
「たとえ鉄の櫃に隠そうとも、盗みとってみせる」と。
 はたしてその夜、隠娘はいなくなった。父母は驚き、人を四方に走らせて捜索したが見つからなくて、顔を見合わせて涙を流すばかりだった。

 五年後、尼が隠娘を返しに来た。
「この娘に教えることは、もうなくなった」
 そう言って、尼はいずこへともなく去っていった。
 父母ならびに人々は、隠娘の帰還を喜んだが、彼女の身にただならぬことがあったのが察せられて、安堵しきれなかった。
 尼に何を習ったのかと問うと、隠娘は、
「ただ経を読み習った。ほかに何もない」
と答えた。しかし聶鋒が疑って、執拗に問いただすと、やっと重い口を開いた。

 最初、隠娘は尼に連れられて何百里も行き、大きな岩穴に至ったのだった。
 穴の中は広くて、猿の類がたくさん棲んでいた。先に二人の少女がいて、ともに十歳、賢くて、美人で、物を食わず、険しい石壁の上を飛び走るさまは、猿が木に登るように素早かった。
 尼は、隠娘に一粒の薬を与えた。また、二尺ばかりの宝剣一振りを与えたが、その刃はあくまで鋭く、毛を吹きかけても切れるのだった。
 二人の少女は、隠娘に木に登ることを教えた。やがて、風のように身が軽くなったのを感じた。
 一年過ぎて、猿を刺す訓練をした。百に一つもし損なうことがなくなると、今度は虎や豹を刺し、その頭を持ち帰った。三年後には鷹を刺し、ハヤブサを刺して、外すことはまったくなかった。
 数年が過ぎて、尼は二人の少女に岩穴を守らせ、隠娘を伴って賑やかな都会へ行った。尼はある人を差して、犯した罪科を一つ一つ数え上げ、
「あの者の頭を刺してこい。けっして人に知られるな」
と言って、刃渡り三寸ばかりの羊角の匕首(あいくち)を与えた。
 隠娘は白昼に街路で人を刺したが、それに気づく者はなかった。首を取って袋に入れて持ち帰り、薬をかけると、首は消えてたちまち水になった。
 尼はまた言った。
「あの者は、ゆえなく多くの人を殺した」
 隠娘はその人の家へ行って、首を取ってきた。
 その後、尼は、
「おまえのために、頭に細工してやろう」
と脳を開いて匕首を収め、いつでも抜いて使えるようにした。脳が損じることはまったくなかった。
「おまえはもう十分に術を習得した。家に帰るがよい。二十年後にまた会おう」
 そして、尼は隠娘を帰宅させたのだった。

 聶鋒は話を聞いて、わが娘のことをはなはだ恐れるようになった。
 隠娘はときどき何処へともなく出かけて、夜が明けてから帰ってくることがあったが、聶鋒は行き先を問わなかった。
 謎の外出がやっと少なくなったと思ったら、屋敷にやって来た鏡磨ぎの若者を見て、隠娘は、何が気に入ったのか、
「この者を夫にします」
と言った。
 聶鋒はやむなく結婚を認め、若者に不自由ないだけの衣食を与えて、豊かに暮らせるよう計らった。

 やがて聶鋒が死んだ。聶鋒の主人の魏博節度使は、隠娘の術のことを聞き知り、金や絹を与えて呼び寄せた。
 数年後、魏博節度使は、かねてより険悪な仲だった陳許節度使 劉悟の首を取るよう、隠娘に命じた。
 隠娘は密かに敵地へ向かったが、劉悟には物事を予見する不思議な能力があったので、いちはやく悟って、配下の武官に二人を出迎えさせた。
「急いで城の北へ行け。男と女の二人連れが白と黒の驢馬に乗って来るのを見たら、挨拶して、劉悟が会いたがっていると伝えよ」
 武官が命令どおり主人の言葉を伝えると、隠娘夫婦は驚いた。
「我らの来ることを知っていたとは、劉悟という人はただ者ではない。ぜひお会いしたいものだ」
 隠娘は劉悟と対面し、拝して詫びた。
「お察しのとおり、お命を狙って参りました。申しわけありません」
 それに対して、劉悟は、
「謝ることはない。人が主人の命令に従うのは、世間の常だ。だが、考えてみよ。そなたらの主人が魏博でなく我であっても、何の不都合があろうか。どうかここに留まって働いてもらいたい。これは本心から言うのだから、疑わないでくれ」
と返した。
 隠娘は、劉悟が魏博節度使にまさる人物であるのを知って、その地に留まることを決めた。
 そこで劉悟は、
「では、そなたらの求めるところを叶えよう。何が必要か」
と問うたが、
「毎日百銭いただければ、十分です」
と答えるのみだった。
 数日後、二人の乗ってきた驢馬の姿が消えた。どうしたのかと調べたところ、彼らの私物を入れた袋の中に、紙で作った白と黒の驢馬が見つかった。

 ひと月あまり経ったある日、隠娘は劉悟に告げた。
「魏博は諦めておりません。今夜必ず、精々児(せいせいに)という刺客が来て、劉悟さまを殺し、私をも殺そうとするでしょう。しかし、御心配には及びません。謀をめぐらして、逆に精々児を殺してみせます」
 劉悟はもとより大胆な気質だったから、恐れる色もなかった。
 夜半を過ぎるころ、紅色のものと白色のものが灯火に映り、劉悟の寝台の四方を飛び交った。しばらくして、首と胴体が二つに切れた者が宙から落下した。
 隠娘が姿を現し、
「精々児はもう死にました」
と言って、死骸を部屋の外へ引き出して薬をかけると、それは水と化してしまった。
 しかし、隠娘はまた告げた。
「近いうちに、今度は空々児(くうくうに)という刺客が来ます。空々児の術の凄さは、私の及ぶところではありません。鬼神でも、あの空々児の跡を追えないでしょう。空から空へ入り、形なく事を為して、痕跡を残さないのです。私の技だけでは防げませんが、御運を信じて立ち向かいましょう。劉悟さまは円国の玉を首に掛けめぐらし、その上を布団で蔽ってください。私は微塵のごとき小虫に化し、あなたの腹中に入って待ち構えます」
 夜が更けて、床に横たわった劉悟の首の上で、物の響く音がした。カンカンという高い音だった。
 するとたちまち、隠娘が口から躍り出て、嬉しげに言った。
「もう大丈夫です。空々児は去りました。あの者が人を撃つのは、逸物の鷹が鳥を撃つのに等しく、一撃で斃せなければ遥か遠くに飛び去ります。撃ち外したことを恥じるからです。一時で千里の遠方まで行きます」
 首に掛けた玉を見ると、匕首の当たった疵がまざまざとあった。まことに危ないところだったのである。
 それからの劉悟は、いよいよ隠娘を大切にした。

 元和八年、劉悟が都に上ったとき、隠娘は随行しなかった。それきり彼女の消息は知れなくなった。
 劉悟が都で死ぬと、隠娘は驢馬に乗って来て、棺に向かって泣いて、また何処へともなく去った。
 開成年間、蜀の国の桟道で、隠娘が白い驢馬に乗って行くのを見た人がいる。その姿かたちは往時と変わるところがなかった。その後に隠娘を見た人はいない。

 この話は、『太平広記』に載っている。
あやしい古典文学 No.1438