根岸鎮衛『耳袋』巻の九「胆太き女の事」より

肝っ玉女

 槍術の師範をする吉田某が語った。

      *

 この春に雇い入れた上州生まれの女は、年の頃十八九で、見かけはいたって柔和な者だった。
 しかし、この女が上州を出たわけは、郷里で親兄弟に隠れてつきあっていた男があって、その男が江戸へ行ったと聞いたからだった。
 女は風呂敷に着替えと鏡一枚を包み、夜陰に紛れて親元を出奔すると、夜通し歩いて江戸へ向かった。すると、どこだかで一人の盗賊が現れた。
「おまえの風呂敷包みを置いてゆけ。着物もよこせ」
 女は言われるままにして、いったんは去りかけたが、また引き返して盗賊に言った。
「一つお願いがあります。風呂敷の中に小さい鏡があります。ほかの衣類などは差し上げますけど、あの鏡は親の形見なので返してください。売っても僅かな値にしかならない品です」
 盗賊は、もっともだと思ったのか、鏡を取り出して女に渡した。女は「ありがとうございます」と深々と頭を下げて礼を言い、盗賊が「なんの、なんの」と言いつつ身をかがませたとき、その眉間を鏡でしたたか打った。アッ!と叫んで手を挙げるところを、たたみかけて打ち叩いたので、盗賊は倒れてしまった。そこで包みと着物を取り返し、足に任せて江戸まで来たのだという。

 吉田某が、女から話を聞いて、
「おまえは、あっぱれな豪傑だな。わしは武芸の師範をしているが、それほど見事は手柄は聞いたことがない」
と感心すると、女は調子に乗ったのか、こんなことを言った。
「じつはわたし、郷里を出るときに、鎌を一丁持ち出すつもりでおりましたのに、急いでいて忘れてきました」
「それは、道中の用心のためか」
「違いますよ、旦那さま。あとから親兄弟が追いかけてきたら、足を薙いでやろうと思いましてね」
 これには吉田も大いに驚き、恐ろしい心底の者と見限って、早々に暇を出した。
あやしい古典文学 No.1440