川路聖謨『島根のすさみ』「天保十二年閏正月二十八日」より

雪隠から来る幽霊

 清水喜左衛門が、今日、佐渡奉行所へ目通りに来た。
 人の噂では、喜左衛門はかつて幽霊に逢ったらしいのだが、この機会に、どういうことなのか、本人から直接話を聞いた。

 今から二十三年前のことだ。
 喜左衛門は佐渡渋手村の浦目付の役に就いて、同地の役宅に引き移った。
 当時は独身で、老母と二人暮らしであり、母親は玄関のほうに寝て、喜左衛門は鉄砲等の武器を収めた部屋で、刀を床の間に置き、枕元には脇差を置いて寝た。
 ところが、引越した日から夜ごとに二三度ずつ、怪しいものが来て喜左衛門の夜具の上に乗るらしく、胸苦しくなって目覚める。
 夜には必ずそうなので、何事が起こるのか気を付けていたら、まずはじめに便所の戸が開く音がした。まもなく足音がして、やがて夜具の上に乗ってくるのが、たしかに分かった。そこで脇差を取ろうとしたが、手も足も萎え痺れて、少しも動かない。残念に思いながら、どうしようもなかった。
 そんな状態が十六夜続いた。怪しいものは、多いときには一晩に五回も来た。
 十七夜目、手が少し伸びて、脇差の下げ緒に指がかかった。ここぞとばかり引っ張ると、脇差がころころ転げて、肩に鍔が強く当たった。そのとたん体が自由になった。
 身を起こしてみると、白髪まじりの六十歳くらいの女がいて、喜左衛門のほうに向き直った。さして恐ろしくはなく、ごく普通の老婆だった。
 その老婆が立ち上がって、便所のほうへ行こうとするところを、力にまかせて斬りかかったが、手応えはなく、そのままひらひらと便所に向かうかに見えて、たちまち見えなくなった。
 その後も毎夜来た。しかし、また前のように手足がきかなかったので、どうにもできなかった。
 渋手村に住む臼杵如庵という医者から借りた本に、医薬からまじないまで書かれた中、「襲(おそう)」という項目があって、草履を使うまじないが載っていた。そのとおりやってみたら、二十一日目の夜からは全く来なくなった。

 喜左衛門は、この怪異を深く隠して、人に語らなかった。やがて妻を迎えて、その妻が同じ部屋で同様に襲われたことがあったが、怖がらせまいと思って、以前のことを語らなかった。
 しかし後には、叔父の山田市郎右衛門に、つい心を許して語った。それが広まって、佐渡奉行である筆者の耳にも入ったのである。
 渋手村の役所の辺りは、古い墓が多くある。そのせいか怪しいことがよくあるが、喜左衛門が体験したようなことは、ほかにないらしい。
 不思議なのは、老婆が刀に恐れたなら再び出ることはなかったろうに、その後も来たが、恐れなかったのなら、急いで逃げる必要もなかったはず。いかにも解せないことだと、喜左衛門は話した。
あやしい古典文学 No.1442