平賀蕉斎『蕉斎筆記』巻之二より

九鬼長門守

 九鬼長門守の家中では、節分の夜に豆をまくとき、「福は内、鬼は内」と言うらしい。「九鬼」に「鬼」の字があるからだと世間では言い伝えているが、虚実は定かでなかった。

 この夏、九鬼家の所領である摂津三田の内藤良白という医師が、長崎までやって来て筆者方を訪問した。
 あれこれ話す中で九鬼家の噂について尋ねると、良白は語った。
「豆まきでは、百姓町人は別にして、御家中すべて『鬼は内』と唱えます。そもそも御先祖があまりに豪勇の人だったゆえ、『九鬼』と呼ばれるようになったのですから。代々の九鬼家の当主はみな武力・膂力にすぐれ、今の御隠居も、重い碁盤の隅を掴んで振り回し、その風で灯火を打ち消すほどだと聞きますよ。
 また、江戸屋敷には、長門守様が年越しの夜にただ一人で入られる部屋があるそうです。あるとき側小姓の勇ましい者が、『人の行くところに行けないはずがない』と言って長門守様に続いて部屋に入ったところ、たちまち『あっ!』と一声叫んだきり、行方知れずになったとか。そのほか、しきたり儀式のすべてに色々変わったことがあるようです」

 ちなみに、疫神のまじないの「蘇民将来子孫之家」という札は、この九鬼家から出るものが第一とされている。
あやしい古典文学 No.1443