平賀蕉斎『蕉斎筆記』巻之三より

異国船

 当年八月十九日、朝鮮の釜山沖に、異国船が数知れず出現した。朝鮮国も釜山の対馬屋敷も大騒ぎしたが、二日後には、どこへ行ったのか見えなくなった。

 九月十四日、今度は対馬の廻浦というところから二十里ほど沖合に、おびただしい数の異国船が見えた。夜間にはあまたの篝火が燃え、大きな火は五十ほど、その他小さいのは数えきれない。かくして対馬も大騒動となった。
 すでに異国船打ち払いの用意があったので、十五日には船をととのえ、十六日に現場へ向かって虚実を確かめるという手はずになった。
 ところが十六日の朝は霧深く、沖合一里ほど先も見えない。そこへ突然、暴風雨が吹き荒れた。海の潮も煙のごとく逆巻き、雷鳴が間断なく響きわたった。
 翌十七日、異国船は一艘も見えなかった。何処へ去ったのか全く分からない。
 とかく異国は乱世なのか、または明確に日本を侵そうとしたのか、いずれにせよ、この暴風雨は日本の神風だったろうと悦ばしい。

 近年、「海帝」という旗を立てた海賊船も出没する。一万人ほど乗り組んでいるらしい。オランダ船も中国船もこれを恐れて、長崎への来航が遅れがちだ。
 この春には、帰途の中国船が海帝に捕らわれ、中国側が銀六十貫目を支払って、人・船・積荷を取り戻したという。
 世界広しとはいえ、恐ろしいことがあるものだ。
あやしい古典文学 No.1444