藤岡屋由蔵『藤岡屋日記』第八十八より

コレラ獣

 武州多摩郡三ツ木村の百姓 粂蔵の妻ときは、文久二年八月十二三日ごろより、流行のコレラ病に罹患し、さかんに吐瀉などして苦しんだ。
 十七日、ときの二の腕に瘤のような塊ができたので、揉みほぐしてやったところ、病状は随分よくなったように見えた。
 しかし、ちょうどその時、隣村石畑村の百姓である弟が見舞いに来て、病気がその者にうつった。コレラ病の症状を呈し、吐瀉などしたうえ、やはり瘤が出来たので、これまた揉みほぐすと、ただちに快方に向かった。

 同じ十七日の夕刻、鼬(いたち)のような獣が粂蔵宅の裏口へ飛び出したのを、家の者が見かけたが、すぐに見失った。
 翌日、ときが「梨を食べたい」と言って起きてきたとき、また獣がどこからともなく現れて、ときの顔をじっと見つめた。思わずぞっとしながらも威嚇して追い払ったところ、薪を積んだ場所の下へ逃げ込み、居合わせた猫と噛み合った。ときが薪を投げつけると、眉間に命中して、獣は即死した。
 たまたま粂蔵宅に来ていた同村の百姓 平十郎という者が、その場で獣の皮を剥き、肉を火に焙って喰った。たいそう旨かったそうだ。

 同月二十日、やはり三ツ木村の百姓 虎市という者もコレラ病に罹った。例によって吐瀉していた折、獣が家の中から出てきたのを、妻のまんが見つけて追いかけた。
 獣は逃げたが、隣家の亀吉の妻のそよという者に鉢合わせ、結局、まんとそよの挟み撃ちにあって打ち殺された。
 死骸は、そのまま土中に埋めてしまったとのことだ。

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 これも文久二年八月十七八日ごろ、武州多摩郡中藤村の嶋屋という糸買商の隠居が、箱根の温泉で湯治中、流行のコレラ病に罹って死んだ。
 隠居の死骸を自宅に引き取った折、同じ村の糸買商の水戸屋が、嶋屋と親類の間柄ゆえに手伝いに来て、帰宅後これまたコレラ病で煩いつき、主人と妻・倅の三人とも病没するに及んだ。
 水戸屋の三人の死骸の間から獣が駆けだすのを、居合わせた者が見つけて追いかけたが、結局見失ったという。

 また、武州多摩郡谷保村の安五郎という百姓は、隣宿の府中宿へ行ってコレラ病を発し、まもなく没した。
 死骸を谷保村に運ぶ折、府中宿の百姓 常吉という者が付き添って行って、途中、安五郎の死骸から獣が駆けだし、藪の中へ逃げ込むのを目撃した。

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 この獣は、一円の村々で「コレラ病の獣」と風聞されたが、実のところは「オサキ狐」のような妖獣の仲間で、コレラ病の虚に乗じて身体に入り込んだのではなかろうか。
 じっさい、「アメリカのオサキ狐にまちがいない」などという風聞も立っている。
あやしい古典文学 No.1448