古賀侗庵『今斉諧』巻之一「山中死亀」より

利尻岳の山霊

 探検家 最上徳内は、蝦夷地検分の途次、船で利尻島へ向かい、雲をしのぐ秀峰が島上にそそり立つのを見て、歓喜した。
「蝦夷の極辺に至り着いて、みごとな高山に遭遇したものだ。山上からは、対岸の狄国や契丹の地を眼前に見られるはず。その地形と海陸の交路を、初めて観覧することが出来るのだ。いざ、登ってみよう」
 これを聞いた土地の民は、こぞってとめた。
「この山に登る者は、往々にして山霊の怒りに触れ、ひどい目にあいます。登ってはいけません」
 しかし徳内は、自らを奮い立たせた。
「大丈夫。山霊ごときを恐れるものか」

 そうして徳内の一行は出立したけれども、その日は麓から登りかけたあたりで濃霧が起こり、一寸先も見えなくなって、やむをえず戻った。
 翌日はすっかり晴れ上がったので、また登り始めたが、山腹に達するとまたまた濃霧に包まれ、戻るしかなかった。
 また翌日、いちだんと晴れ上がった。
「今日こそは志を遂げよう。いざ登らん」
 中腹を過ぎたあたりから、例によって濃霧が生じたが、進むのをやめなかった。驟雨が降りつけ、それとともに堪えがたい悪臭が、風に乗って漂い始めた。それでもなお退却せずに進んだ。
 やがて巌壁の下に、巨大な亀の死骸を見た。近づくに従い、いちだんと臭気はなはだしく、人々の鼻口を襲って、嘔吐せぬ者はなかった。
 ここにいたって、さすがの徳内も諦め、引き返すことにした。

 思うに、山霊の怒りに触れて受ける禍とは、すべてこの死亀のなせるところだったのだろう。
あやしい古典文学 No.1450