長山盛晃『耳の垢』巻二十六より

木中に生じたもの

 寛政のころ、横手城の破損の修復工事が行われたことがあった。
 そのとき、城の背後の山に杉の大木があるのを伐ることになって、杉の傍らに小屋掛けし、すぐに板にしようと木挽小屋も建て、
「明日はいよいよ伐り倒すぞ」
と準備万端ととのえたのだが、日中の晴れわたった空が、日が傾きかけるやにわかに黒雲に覆われ、水盆を傾けたような夕立となった。
 雷鳴おびただしく、ついに大木に落雷した。木は二つに裂け、雷火で一気に燃え上がった。炎すさまじく、杉は残りなく消失した。
 しかるに、木がまさに燃えているとき、早生米を炊くような匂いがしきりにして、焼けてしまったあとを見ると、灰に交じって丈七尺あまりの骨があった。それは背骨にちがいなく、肋骨と思われるものも周囲に散らばっていた。頭骨は砕けて形がなくなったらしい。蛇の骨のようには見えず、「おそらく蜈蚣(ムカデ)の骨だろう」と人々は評した。
 当時横手に住んでいて実際に見た人の話では、太さといい節々のある形状といい尺八の竹のようで、少し曲がっていたという。そもそも横手の地はほかより蜈蚣が多く、中には随分大きなものもいる。筆者も横手で、長さ五寸ほどの大蜈蚣を見た。

 また、大平黒沢村の勝手大明神の社の奥の大杉は、自然に木中から火が出て焼けた。焼けた跡に骨があって、全体が砕けて何の骨とは分からなかったが、蛇の骨ではないかと人々は評した。
 別の山の大杉から火が出て焼けたときにも、骨が数多く出たといって皆見物に行き、骨を拾って持ち帰った者もあった。それを筆者も見たが、すっかり砕けて形をとどめていなかった。けれども骨にはちがいなく、いったい何ものかと首を傾げるしかなかった。

 城下山の手の牛丸氏の屋敷で、裏手にある古木の桜を伐ったとき、根の方から四尺ばかりのところを割ったら、木中に空洞があって、中に七寸くらいの蛇がいた。
 形は通常の蛇より短くて太く、全体に黒光りしていた。黒いからといって烏蛇の形には似ず、たいそう元気よく動き回るのを、そのまま打ち殺した。
 木中にほかに穴はなく、また外と通じる隙間もなく、どのようにして空洞へ入ったのかと、皆あれこれ言い合った。けれども、納得できる説はなく、結局、外から入ったのではなく木中に自然に生じたもので、世に「立ち蛇」と称するものだろうということに定まった。
 とすれば、先に挙げたものも皆同様に、木中に生じて木中に棲むものなのだろうか。
あやしい古典文学 No.1453